仙山電気軌道・秋保電鉄延長計画 その1

 宮城県仙台市と、隣県の山形県山形市はどちらも県庁所在地ながら隣接しているという珍しい自治体である。現在は山形自動車道を高速バスが何本も行き交い、人・物の交流もかなり盛んである。しかし、これは今に始まったことではなく、はるか昔より、仙山間を短時間・短距離で結ぼうという計画があった。それは現在のJR仙山線でもあり、その陰には消えたいった複数のの仙山間鉄道計画があったことは意外に知られていない。。

 6月の始め、河北新報のK記者から「ちょっと一緒に来て、見てもらいたいものがある」と連絡をもらい、早速待ち合わせの場所へと向かう。向かった先は、かつての秋保電鉄社長であったN氏のお孫さん宅であった。そこで目にしたものは、いくつかの書簡と、写真、そして一枚の巨大な青写真であった。そこには「仙山電気鉄道秋保笹谷峠間線路踏査図」と表記してあった。思わず身を乗り出してその青写真を食い入るように見る。


 「これがどういう物なのか、私にはよくわからないんですよ」とN氏は言う。

確かに、私も初めてお目にかかる代物である。改正鉄道敷設法に記載されている、川崎(作並?)〜神町間の計画については、過去に掲示板でも話題になったことがあったが、笹谷越えの計画は聞いたことがなかった。

 この計画がどの程度本気で、どの程度進められたものなのか、全く検討が付かなかった。

 「とりあえず現地調査をすれば、何か見えてくるかも知れませんね」と私はそう答えるのがやっとだった。



「じゃあ、この青写真持っていっていいですよ。コピーで悪いですが…」とN氏がおっしゃったので、お言葉に甘えこの青写真を預かる事とした。

 その他にいくつかの書簡に関しての調査は、私とK記者で分担することとし、N氏宅を去った。

 先ずは家に帰り、この計画の全体像を把握することとする。




 計画線の概要は先ず、秋保温泉駅を西進した後、南へ向きを変え名取川橋梁を渡り、秋保湯元駅へ至る。そして隧道3ヶ所、橋梁1ヶ所を経て、碁石停車場、その後、川崎・野上・笹谷と高度を上げていき、最終的に隧道長9600フィートの笹谷峠隧道へ至るルートである。

 調べていくと、この仙山間鉄道については非常に複雑で、おそらく相当数の資料が出てこないと解明は不可能であると思う。この仙山電気鉄道は、あくまで「秋保電鉄の社内計画」と思われ、大正7〜8年当時いくつかの候補があった。
 
 先ずは、仙台を出て小田原、愛子、作並を経て関山峠を抜けて山形県神町へ至る「関山峠ルート」
 そして、作並から、新川沿いに上り、面白山を隧道で抜けて、山寺、山形へと至る「新川ルート」
 秋保から、二口峠を抜け、山形へ至る「二口ルート」
 最期に秋保から川崎を経て、笹谷峠を抜け、山形へ至る「笹谷峠ルート」

 以上の4路線が、主立った計画ルートであった。

 この4線を比較すると、最も工費の少ないルートは「新川ルート」であった。また、工事の難易度をみても「新川ルート」が最も楽であった。
 問題の笹谷ルートは、距離的に優位であったが、工費の面で最も不利であったらしい。

 この比較を経て、省線ルート「面白山越え」がほぼ仙山間鉄道として決まりかけていた矢先に、ある大事件が起きた。
 「関東大震災」である。国としては、震災の復興に予算を割らなければならず、とても新路線の建設に手が回らない状態になった。そこで再び私設の仙山間鉄道計画が脚光を浴びることとなる。
 
 当時の新聞記事などを参考にすれば、名乗りを上げていたのがまず今回紹介している「秋保電鉄の延長線計画」。そしてこれがまたややこしいのであるが、恐らくは秋保電鉄とは全く別会社と思われるの「仙山鉄道」仙台〜秋保〜愛子間の免許を取得、愛子〜東根(神町?)間を「南奥州鉄道」が大正10年の時点で既に免許を取得しており、利権なども絡め混迷を帯びてくるのであるが、結局は省線である現在のJR仙山線が着工されることとなり、各社の計画は歴史の中に消えていくのであった。

 以下に各ルートの予想を記した地図を掲載する。



 ここまでやって、やはり見てみないことにはわからないということで、翌日にははくちょう氏を伴って実地調査を行うのだが、その様子は次回に。


その2へ続く。

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