仙山電気軌道・秋保電鉄延長計画 その2

 実現しなかった仙山間鉄道の話はいくつか聞いたことがあった。おそらく最も目にしやすい形として残っているものは、1922年4月11日公布の「改正鉄道敷設法別表」にある、「宮城県仙台ヨリ山形県山寺ヲ経テ山形ニ至ル鉄道及ビ宮城県川崎付近ヨリ分岐シテ山形県神町ニ至ル鉄道」という項目である。
 私も何度か目にしてきたのだが、前半部は言わずと知れた現在のJR仙山線のことである。ただし後半部について多くの書籍等は「川崎」の部分を「作並」に置き換えている。ここに今までなんともいえない違和感を覚えていたのも確かであった。
 今回調査している秋保電鉄の仙山間鉄道計画は、まさに「川崎」を経由地と設定している。計画が打ち出された当時、既に作並と川崎は明確に「違う場所」として扱われていたといえる。今まで、「作並」より分岐という言葉に惑わされ続け、一時作並からの分岐線踏査などということもしてみたが、この部分は実は切り捨ててしまっても良いのかも知れない。
 あくまで「作並を経由地とした関山峠経由の別計画が存在した」という認識が実は正しく、これは分岐線とは別計画の「敗れ去った計画」として扱うのが正解なのかもしれない。つまりは省線の仙山線として分岐の計画は一切無かったと。確かに省線としては奥羽本線経由で、さほど時間の差も無く神町へたどり着けるのだから巨費を投じて近接する場所に長大隧道を作る意味はないであろう。
 同じく「改正鉄道敷設法別表」による「宮城県長町ヨリ青根付近ニ至ル鉄道」の一部として秋保電鉄が該当するのだが、当時はこの2つの項を全く別物ではなく、広義に捕らえていたのかもしれない。

 さて前置きが長くなってしまったが、とりあえずは秋保電鉄の終点である「秋保温泉駅跡」へと行ってみた。


 駅跡の西端より名取川方向を見る。計画によれば、秋保温泉駅を出た後急カーブでこの名取川を渡ることになっているのだが、現在の道路橋がかかっている辺りを通過することになっている。併用軌道を予定していたのか、専用軌道だったのかは今では知ることが出来ない。
 名取川を渡った後は、やはり現在の秋保温泉の外側を廻る道路とほぼ同じルートで軌道が敷設されることとなっていた。











 秋保湯元駅予定地へ至るまでの軌道予定地は家が建ち並んでおり、どういった形態で軌道敷設をしようとしていたのか現在ではよくわからない。当時もこの道路は存在していたようなので、併用軌道という可能性もある。















 駅の予定地は、現在大きなホテルの敷地となっている。ちょうど温泉の中心街といった感じで、駅には好立地といえる。
 この広大な敷地が、予定地として買収されたのかどうかは、今後の調査である。















 温泉街を大きく迂回して、県道へと合流するのだが、現在は大きな切通となっている。計画線はここを隧道で抜けるはずであった。
 なんとなく意味ありげなスペースがあちこちに見られるのであるが…。

 この後は、ほとんど橋梁と隧道で抜ける計画になっており、場所を特定するのは軽装備では厳しいのでとりあえずは次の駅予定地へと向かう。










 次の碁石駅は釜房ダムの湖底になる。これは手も足もでない。
 現在も碁石という集落はあるが、釜房ダム建設時に移転したのかもしれない。記録では181世帯が移転したとある。
















 計画線はみちのく杜の湖畔公園の中を通り(当然公園整備されており何もわからない)、川崎町の町道沿いの田んぼが予定地と思われる。
道路がそうでは?と思うが、この道路は計画立案時に既に存在しているので、専用軌道であれば水田の辺りと言うことになるし、併用軌道であれば、まさしくこの道路ということになる。















 そして川崎駅予定地へとたどり着いた。
 先ず着いての第一印象は「駅跡っぽい」である。中心街にもかかわらず、空き地があったり、そしてこの道路、メインストリートではなく一本裏に入った道でも関わらず、このあたりだけが2車線道路となっているのだ。














 「ここが○○駅跡です。」と説明されたらすんなり信じてしまいそうな様子である。
 もしかしたら、駅予定地だけはすでに先行して買収が行われていた…そう思わせるには充分な光景である。そしてしばらく塩漬けにされた結果、こうした感じになったとも思える。
 今後の要調査課題である。

 この後、我々は笹谷街道沿いに山形方面へと向かうのであるが、この後も非常に興味深い光景に出会うこととなる。


第二回終わり

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