有田鉄道  海岸〜金屋口 和歌山県 2006.2.8踏査

   和歌山県の有田といえばみかんを思い出す方も多いであろう。そのミカンの輸送を目的として敷設された鉄道が今回ご紹介する有田鉄道である。この鉄道の廃線跡は大きく分けて2つに別れており、昭和34年に先行廃止(実際には昭和19年に不要不急路線として休止)された藤並〜海岸間と、ほんの最近である2002年に廃止された藤並〜金屋口間である。特に今回の踏査で2002年に廃止された区間は、我がバイブル鉄道廃線跡を歩くにも掲載されていない区間であり、ほとんどぶっつけ本番での踏査となった。

 本来は終点として紹介すべきであるが、踏査の順を追って紹介する。このあたりが海岸駅のあった辺りである。この道路が廃線跡で、道路化されたためその痕跡は全く残っていない。
















有田といえばミカンもそうだが醤油も有名。廃線跡の道路沿いには古い醤油工場が今も現役だ。

このあとの廃線跡は、このような道路となっており、一部は国道、そして紀勢本線の複線化用地として転用されているため、遺構は全く残っていない。












 JRとの接続駅であった藤並駅。とは言え、1992年まで紀勢本線の湯浅駅まで乗り入れていた時期もあったのだが。信楽高原鉄道の正面衝突事故をきっかけに乗り入れは廃止された。

















 はっきり言って、この看板が駅前に無かったら、今回の踏査は終わっていた。単純に路線を巡っていけば遺構があるだろうとか、そんな単純なものでは無く、駅の位置などは正確にわからないとたどり着けないような場所にあったりしたのだ。














 今もJRのホームの片隅に、有田鉄道の改札が残っていた。


















 藤並駅からしばらくはレールも残っているが、この踏切跡を境にレールは消失する。



















 踏切の反対側は、転用もされずバラストがそのままだ。


















 短い橋梁がそのままに残っていた。廃止から3年以上になるが、まだまだ廃線跡は生々しい感じだ。
















 少し行くと踏切がそのままに残る。踏切の跡というのは、私は隧道以上にそそるものがある。危ない事をしないという前提で言えば、踏切というものは人間が線路に立ち入ることのできる唯一の場所だ。その為の保安設備ももちろん他の設備に比べて厳重なイメージがある。たとえこのレールがアスファルトに埋められようとも、アスファルトに浮かび上がるレールの痕跡を見ると、ぐっとくる。












 そのまま廃線跡を追っていくとほどなく田殿口駅の跡へと辿りついた。この駅、附近に何も無いにもかかわらず、駅前がやたらと広い。とりあえずホームへと行ってみる。














 駅跡だからといって、レールは残っているはずもなく、バラスト以外は何も残っていなかった。

















 廃線跡をなんとか追いながら、道路を走ると信号機が残っていた。踏切跡は消失していたが、遮断機の土台は残っている。この辺りから、道路から廃線跡を確認しづらくなり、迷走することになる。















 そしてやっと見つけた下津野駅跡。駅前通りがあるだろうと探し回ったが、そんなものはなく、細い路地を意を決して入り込んだ先にあった。
















 ここもバラスト以外は何も無い。しかし駅そのものは当時のままのようだ。


















 さらに苦労した御霊駅。まるで民家のように普通に車が駐まっているので一瞬スルー。しかも道も細い。

















 壁に直接かかれた駅名標が渋い。



















 御霊駅のすぐ先に踏切があり、その先には枕木が残っていた。


















 金屋口駅の手前辺りから、再びレールが現れた。ふと脇に怪しい看板。

















『有田鉄道跡地を「自転車道・歩道」に!その下に下水道!』w下水道って一本引けば良いってもんじゃないでしょうwしかも自転車乗ってる人を一人も見かけなかったぞwそんな馬鹿な考えは早く捨てなさいw















 ここは遮断機の無い踏切のため、列車の通過時刻が書いてある。んー末期は一日4本か…。なにしろ有田鉄道の末期は「学校が休みの日は定休日」という信じられない鉄道であった。
 ちなみになぜ御霊駅から先が結構そのままになっているのかと言えば「撤去費用が無いから」だそうである。
 










 踏切の先はヤードになっていたようで、日通の営業所の跡もある。ここからミカンを積んでいたのだ。

















 撤去された枕木がどさっと積まれていた。



















 こちらは遮断機やらなにやら、ごちゃごちゃと積まれている。


















 有田鉄道の会社はバス会社として今も存続している。奥が金屋口駅の改札。


















 駅設備はほとんどそのままのようだ。金屋口の駅名標などもそのままだ。
 資金状態や沿線自治体の財政状況を考えると、まだまだこの廃線跡はこのまま生き残りそうな雰囲気だった。
 今回見た限りでは撤去工事を進めている箇所は皆無であった。
 まぁ線路跡で分断してしまっても困るほど大きな町ではない沿線なので、このまま廃れていくのも味が出るかもしれないが。


 END




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