千歳線旧線 その1 苗穂〜北広島 北海道 2006.5.1踏査

 千歳線の前身は大正15年8月21日に開業した北海道鉄道札幌線であり、昭和18年に国有化された。当時は現在のような幹線鉄道ではなく、寂れたローカル線の雰囲気であったが、第二次大戦後の昭和36年室蘭本線・千歳線経由の特急「おおぞら」が運転されるに至り、函館〜旭川間を接続する函館本線ルートに代わるメインルートといて脚光をあびる。
 その後輸送量の増大、昭和56年開業の石勝線の列車が千歳線を経由する予定でもあった為、昭和40年より複線化工事が開始された。その際今回紹介する苗穂〜北広島間は急勾配・急曲線の連続する区間のため、新線の建設が決定され昭和48年に新線に移行した。移行後も白石〜東札幌〜月寒間が貨物支線として運行されていたが昭和61年までに全て廃止されている。
 今回の踏査は、札幌支部長BAKUの単独踏査であり、以前失敗した総裁の指示による遠隔踏査の反省をふまえ実施された。というわけで、今回は一切指示無しw。途中若干のヒントは与えたが、基本的にBAKUの記憶と現地の状況を観察した結果のみで踏査は行われている。この方法の狙いは「従来のガイドブックからの離脱」であり、全く予備知識を持たないことによってありふれたガイドブックの写真とは違う風景を撮影すること及び、「旅人が旅先でふと見つけた視点からの廃線」という、「テツハイ新ガイドブック化計画」の一環において行われたことをふまえて、皆様にもご覧頂きたい。
 以下レポートはBAKUによるもの。※印は総裁による注釈である。

苗穂側分岐〜東札幌駅跡附近


 札幌扇状地と豊平川河岸段丘の頂点のような所にある札幌支部。
 そこから愛車のGT(BMX:チャリ)で出発すると、ほとんど力入れて漕がなくても豊平川橋梁までたどり着いた。
 当然帰りはずっと上り坂だということは、今は考えないことにする。
 今は札幌市内を穏やかに流れる豊平川は、実は結構な「暴れ川」だったそうである。
 実際、明治時代に建設された前身の橋梁も流されたことがあるらしい。
 小学生の頃、台風で増水した豊平川が近くのマンションの基礎土台を侵食したところを見て恐怖したことを思い出した。














 豊平川橋梁から白石側に進むと、すぐに分岐が始まる。
 ※こちらが新線移行時に廃止された旧分岐点である。比較的築堤がはっきりしているのは、並行している道路の拡張工事により、草刈り等が行われた為であろう。

 






















 少し進むと小川を渡る橋台跡があった。
 なにか工事しようとしているのか、半分埋まりかかっている。


























 さらに先に進むと、築堤は一時米里通に分断される。

























 米里通を渡ると、そこはすっかりならされた駐車場になっていた。
 枕木を使った柵が路盤の境界を示している。


























 その後再び路盤は復活し、緩やかに右にカーブしていく。
そして白石側からの路盤と合流する。



























 ここで一度現在線に戻って、白石側の分岐を見てみる。
 米里行啓通高架下より分岐し、緩やかにカーブしていく。
 こちらが貨物支線として利用された分岐点になる。
























 さらに進んでみる。
 ここもしっかりと築堤が残っている。

























 と思った矢先、あらら・・・築堤はならされ駐車場になっていた。




























 そして苗穂側と合流していく。


























 国道12号線から合流点を見てみる。
 ※んーよくわからないがw

























 国道12号線から反対側を見てみると、路盤はならされて駐車場と緑地歩道になっていた。

























 さらに先にあるコンベンションセンターのあたりに東札幌駅があったらしい。
 今はその面影はない。

 ※東札幌駅の構内自体はかなり広かったらしく、ここでの駅とはあくまで駅舎等の構造物があった場所という意味。























 コンベンションセンターの先は、すっかり更地になってしまっている。
 なにか建設予定でもあるのだろうか・・・























 

 そしてここから北広島までのサイクリングロードの始まりである。
 いきなりテンション下がり気味w

 なぜかというと、この4日前サイクリングロードの半分をすでに歩いていたのである。

 この先だいたい想像がついてきた。 






















 このサイクリングロードは、旧千歳線の路盤を利用して作られたのではなく、旧千歳線の土地を利用して作られたのである。
 よって無理やり作ったアンダーパスなどで、妙にアップダウンのある道になっている。

 廃線跡としては魅力薄である。

※テツハイ隊員は基本的にサイクリングロードが嫌いですwが都会の廃線跡は、接続道路を建設するのが難しかったりする関係で、建築物は存在しづらかったりするのか?仙石線なんてほとんどほったらかしですしね。
















 少し進むと環状通を越える橋が現れる。
もちろん当時こんな橋は無い。






















さぁどんどんサイクリングだよw



 デザイン的には面白いのだが、鉄道遺構でないと思うととりあえずスルー。

 と思ったが、橋の下に小さな川があることに気づき、戻ってみると・・・
























 なんか不自然な跡が・・・
この川は「望月寒川」で自宅近所も通っている。相当昔から3面護岸で、幼少の頃は「タニシ」とかいっぱい張り付いていたのだが、今はどうだろう。























 月寒駅はビール工場のあたりにあったらしい。
 今はその面影は無い。

























 さらに進むと「月寒川」を渡るカラフルな橋がある。
当然当時このような橋はなかったが、この川幅なら「あれ」があってもよさそうである。


























 ん!!
「あれ」っぽいもの発見!
























 橋の上から見てみると良く判ります。
そうです。橋脚跡です。





 ※と、BAKUのレポートはここで終わる。終わりまで行っているはずだが、5/30現在他のレポは届いても、千歳線の続きが来ないw
 というわけで第一回終了。



 第二回へ続く。

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