| 奥羽本線の大釈迦〜鶴ヶ坂の区間は、奥羽本線でも最も早い明治27年12月に青森〜弘前間が開業した当時の路線である。現在の奥羽本線は、山形新幹線の開業による改軌で全線を通して乗車することは不可能な路線になっている。特にこの区間は羽越本線から繋がる日本海縦断ルートのイメージが強く、青森〜福島間を結ぶ路線としてのイメージは薄れている。 さて、今回は奥羽本線の数ある旧線の中でも、比較的メジャーな旧線跡である。旧線への切り替えは、昭和38年7月1日に行われている。そして、昭和59年9月に2代目の大釈迦トンネルから3代目の大釈迦トンネルへの切り替えが行われた。始めに断っておくが、二代目大釈迦トンネルは「休止線」扱いである(将来の複線化に備えて)。今回の踏査はあくまで「旧線」の踏査であるので、休止区間については「山さ行がねが」様の隧道レポート、「二代目大釈迦隧道」のページをご覧になることをお薦めする。 ![]() 早速踏査を進めていきたい。 写真は大釈迦駅から北へ行った場所にある旧線の分岐点附近である。現在はわかりづらくなっているが、開通時の路盤は写真右の現在線3代目トンネル右の土手である。トンネル工事の際に築堤が削られたようで、現在は勾配が不自然な感じになっている。 そして左に見えるスノーシェッドの奥には2代目大釈迦トンネルが休止線として口を開けている。 ![]() 隧道上の跨線橋を渡ると北側には大釈迦峠へ向かって旧線の路盤が真っ直ぐに伸びている。広く見えるのは、複線用の路盤だったわけではなく、この上にさらに築堤があったそうである。 突き当たりの森の辺りまで、ほとんど未転用のままに残っているが、築堤を削った為、一部大きな段差ができている。 ![]() 先ほどの場所からちょっと歩くと、用水路を渡る場所に、この区間をメジャー区間に押し上げた物件ともいえる暗渠が現存している。 写真は東側のアーチを撮影。このアングルは、様々な出版物等で皆さんもご覧になったことがあるかもしれない。 焼過煉瓦(やきすぎれんが)と呼ばれる色の濃い煉瓦と、一般の煉瓦とのコントラストが美しいアーチ橋である。残念な事に、アーチ上部は破壊が進んでいる。早急な保存・補修を望みたい。 ![]() このような感じで、崩された煉瓦があちこちに放置してある。 ![]() あまりお目にかからない、西側からのアングル。東側とは対照的にコンクリートで補修を受け、煉瓦のコントラストもはっきりしない。 ![]() さらにすぐ隣には、先ほどとはうってかわって、色もスケールも重厚な煉瓦アーチが現れる。 特に補修も受けておらず、保存状況は比較的良好。 ![]() 少し北に回り込んで、先ほどの分岐点方向に向かって撮った写真。車で走ると気にならないが、この時点で現在線との高度差はかなりのもの。 路盤跡は一部畑等に転用されていた。 ![]() 民家の裏手を少しずつ高度を上げる旧線跡。こんなに家が建っているが、峠のサミットは目前に迫っている。 ![]() 初代大釈迦隧道の大釈迦側坑門は埋め立てられており、現在は見ることができない。ちょうどBAKUの立っているあたりにあったと思われる。その場所で突然路盤が無くなってしまう。 ![]() 残された用地境界票。 ![]() 鶴ヶ坂側の坑門は、国道7号のコンビニ脇の土手を下りていくと、すぐに見つけることが出来る。路盤の上には倒木等が折り重なっており、路盤を歩くことは困難だ。
![]() 植生がものすごく、写真でははっきりしないが、一段下がった場所を路盤は進んでいる。 ![]() 鶴ヶ坂駅へ向かう県道との分岐点辺りで、旧線は合流するかと思わせつつ、しぶとく並行する。写真は大釈迦側から伸びてきた路盤が、水田で切り取られてしまった場所。 ![]() 現在線脇の水田が旧線跡。現在は完全に痕跡を失っている。 ![]() 何となく路盤がわかるようになるのは、県道が現在線に接近するカーブがある附近。道路と現在線の間のスペースが旧線跡。 ![]() ほとんど合流しそうなのだが、小川に旧線のコンクリート橋が残る。 ![]() さらに北上すると、ほとんど現在線に重なるような感じで、旧線の橋台が残っていた。 旧線の路盤はこの後すぐに合流し、鶴ヶ坂へと至る。 END
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