姫路市モノレール 姫路〜手柄山 兵庫県 2007.11.25踏査

 姫路を訪れるのは、既に6回目ほどであろうか。うち4回は車で通りすぎただけ、1回は姫路城だけを見て帰ろうとしたのだが、その帰り道に市内に残る橋脚を見つけ、姫路市モノレールの存在を思い出してから約3年。ようやく再訪の機会を得て、踏査を行うこととなった。市内の廃線跡ということもあり、今でも残っているかは怪しかったのであるが、事前のリサーチではどうやら残っているらしいということで、計画を実行に移すこととした。


 姫路市モノレールは昭和41年4月から手柄山で開催された姫路博覧会に併せ?その年の5月に開通した約1.6キロの路線であった。4月から開催されているイベントの為なのに、5月の開通という時点でかなり怪しいのであるが、その辺りの経緯は置いておいてあくまで南方の飾磨地区まで延長される計画であったということで当然イベント限定ではなかった。しかし当地区までは並行して山陽電鉄の路線もあり、お役所お得意のずさんな計画であったと予想される。現在は阪神梅田駅から山陽姫路駅まで直通列車も運行されているが、神戸の三宮駅を過ぎればかなり空席も目立ち海の側を通る明石付近ではゆったりとした旅を味わうこともできるのだが、山陽姫路〜飾磨間はかなりの空席率で例えモノレールが存続していたとしても、かなりの苦戦を強いられていたであろう。一般の旅行客はJR線や新幹線を利用するであろうから尚更である。
 やはり姫路〜手柄山という短い路線、しかも沿線需要が見込めない区間だけでは経営は難しく、昭和49年には早くも運行休止となり昭和54年には廃止されてしまうのであった。
 さて現在の廃線跡はどうなっているのであろうか。姫路駅の跡から順に歩いてみることとした。


 姫路駅の跡は、JR姫路駅と山陽姫路駅に挟まれた場所にあって、現在はキャスパという百貨店の建物が建っている。しかしこの百貨店、夕方5時頃に訪れたときにはシャッターがほとんど閉まっており、営業はどうなっているのかはよくわからない。









 キャスパの裏手から、レールを支えていた支柱が林立している。しかし高架下の建物と言えばそうなのだが、この風景は一種異様ともとれる。
 なにしろ建物の屋根からにょきにょきとキノコのように支柱が生えているのだ。支柱を撤去したくとも、その為にはこの建物ごと壊さなければならないように見える。これがおそらくは撤去の障害となって、平成のいまのいままで廃線跡が残っている理由の一つであろう。


















 山陽電鉄をオーバークロスする地点。 
 この場所に橋梁がかかっていたのであろうが、山陽電鉄線から結構離れた場所のような気がする。























 よく見ると、山陽電鉄の高架自体が架け替え中のようで、古い路盤が現在も整備中であった。遠くにはJR線とクロスする旧橋梁もそのまま残っている。

















 山陽電鉄をクロスした後は、レール部がそのままに残されている。やはりレール下の建物が撤去の障害となっているようである。

















 ほどなくして大将軍駅の跡に辿り着いた。
 立派なビルの中にレールが吸い込まれて行く。しかしこのビルに入っている商店は見える限りでは廃業しているものも多かった。

 たしかにあまり活気の無い場所ではあるのだが…















 道路とのクロス地点等は全て橋梁は撤去されており、それ以外は全てそのまま…という感じでレールは続いている。
 絡みついた蔦が思いがけず美しい柄を作り出している。
 この後の山陽本線とのクロス地点にはかつては唯一橋梁が残されていたのであるが、山陽本線の高架化工事の為に既に撤去済であった。














 美しい煉瓦の建物の横を抜けていく。かつてはマッチ工場であったそうだ。奥に見える高架が山陽新幹線である。


















 レールは手柄山へ向かって高度を上げていく。

 山陽本線とのクロス地点から。

















 手柄山の手前でレールは終わりを迎える。
 川を渡る地点に残された唯一の鉄製橋梁。



















 息を切らして手柄山へ続く階段を上っていくと、手柄山駅の建物は健在であった。  
 現在は入口が塞がれてしまっているが、中には今でも車両が保存されているということである。

 何らかの方法で保存していって欲しいものではあるが、姫路市としては撤去したい方針だそうだ。
 まぁ震災もあったので、このような廃物がもっているリスクを考えると仕方のないことであろうか。
 せめていつか今も眠っている車両を見てみたいものである。

END

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