暗い空を睨みながら、我々が次に向かったのは唐松駅の跡である。この駅跡は道道のすぐ脇にあるので車に乗っていてもすぐわかる場所にあった。 特徴的な屋根を持つ駅舎は現在は地元の公民館などとして利用されており、中には長机や椅子などが置かれている。しかし駅の設備等は基本的にそのまま残されており、充分に往時を偲ぶ事が出来る。レンズに雪がつくのを気にしながら、やや前屈みになって小走りにホーム側へと廻ってみた。一度見たことのあるBAKUは、後ろからゆっくりとついてきていた。 そのホームも壊されること無く、広い構内と共に今もその姿を残していた。ホームの外れには駅名標の外された白い枠だけが寂しく佇んでいた。ホームに敷かれているマットが水を吸って歩きづらい。どういう配慮なのかははわからないが、今の我々にとっては靴を濡らすだけの厄介者になっているだけだ。それなりに意図はあるのであろうが。 まぁこんな雪の日に訪れるのは、僕のような趣味者くらいのものだろうけど。 しかいゴミ一つ落ちていない構内は、未だ地元の人達の愛着を感じた。 ![]() この先はほとんどの区間で路盤が残されているので、手間と暇さえ惜しまなければ様々な遺構を見つけることが出来る。目立たない小水路にもにもアーチ暗渠が隠れていたりして、これで天気が良ければなかなか楽しい踏査になるのは間違いない。 小さな煉瓦の多心円アーチを眺めながら、先を急いだ。 ![]() 幌内太の駅はクロフォード公園として整備されており、間違っても通り過ぎることはない。クロフォードとは幌内鉄道創設に携わった外国人技師であるが、彼の名前を冠された公園が出来るほどその功績は評価されているのだが、実際当時は最終的に不遇な扱いを受けこの北海道の地を去った。いや、他の用で帰国している最中に解雇されたと聞いている。この辺の経緯は申し訳ないがご自分で調べて欲しい。私もBAKUが持っている本で少々かじっただけなのだ。 駅跡には駅舎やホーム、そして跨線橋まであるが、どうやらそのほとんどは再現されたもののようでオリジナルではないらしい。 ![]() ホームはオリジナルのようだが、その他はやはり復元物のようだ。構内にはレールも敷かれており長編成の列車も静態保存されている。しかし11月からは冬季閉鎖ということで車両には全てブルーシートがかけられていた。他の場所でもそうだったが、11月になると北海道のこの手の施設は全て閉鎖らしい。車両を見たいのであれば他の季節をオススメする。 ![]() ここで分岐していた幌内駅方面へと一度方向を変えた。幌内駅へと向かう路盤は、なんとレールまでそっくり残されているのである。まるで遊園地の列車のようなカーブだが、ここに弁慶号や果てはD51等の蒸気機関車が石炭列車を引いて走っていたのだ。 ![]() 幌内駅の跡は三笠鉄道記念館となっていた。やはりこの時期は閉鎖されており、中に入ることは出来ないのだが、外からでも充分その様子を見ることはできる。 ![]() 線路はさらに駅を越え、幌内炭礦まで伸びていたのだが、記念館の外れ辺りから気になる物が目に入った。なんと三線軌条である。 オリジナルなのか後から作った物なのかは判然としないが、鉱山列車が直接駅構内に乗り入れていてもおかしくないロケーションである。もしかしたら最果ての三線軌条かもしれない。 ![]() 鉱山跡までは全く手つかずの路盤が、ほとんど残されていた。しかし鉱山施設がちらほら目にはいるようになる辺りで、線路の跡は追えなくなってしまう。炭礦の施設も崩壊が進んでおり、足元もかなり怪しいので今回はこれ以上進むのをやめておいた。 既に靴はびしょ濡れである。今更どうなってもいいと思ったのであるが、夜からの仕事のことを思うと、とにかく少しでも靴を乾かしておきたかった。にちゃにちゃと嫌な感触を残しながら我々は幌内炭礦を後にした。 第二回 終わり 第三回へ ![]() |