伊勢電気鉄道 江戸橋〜大神宮前 三重県 2006.2.6踏査

 かつては国家神道の頂点として定められた伊勢神宮には日本全国からお伊勢参りをしようという人々が群がった。1940年(皇紀2600年)には約800万人の参拝者を記録したという。現在は内宮と呼ばれる市街地から離れた場所のほうが参拝者が多いのだが、昔は市街地に近い外宮の方が参拝者が多かった。そして当然のように伊勢神宮を目指す鉄道が数多く敷設されることとなるのだが、伊勢電気鉄道はその中の一つである。この鉄道の変遷は少々わかりずらいので下の表にまとめて見たので参考にしてほしい。

 大正4年9月   伊勢鉄道として白子〜一身田町(高田本山)間開通
 昭和5年12月   桑名〜大神宮前間開通
 昭和11年9月   参宮急行電鉄(現近鉄)と合併、同社伊勢線となる
 昭和13年6月   参急本線伊勢中川〜伊勢線江戸橋までの連絡線が開通(標準軌)
 昭和15年6月   関西急行電鉄(後に参急と合併)が桑名〜名古屋間を開通
 昭和15年12月  中川〜江戸橋を狭軌に改軌。名古屋〜伊勢中川直通運転開始(現近鉄名古屋線)
 昭和16年     参急と大阪電気軌道が合併(元々姉妹会社)。関西急行鉄道誕生。
 昭和17年     新松坂〜大神宮前を、中川〜宇治山田との重複路線として廃止。
 昭和19年     南海鉄道を合併。近畿日本鉄道に。(南海は昭和22年に分離)
 昭和34年     伊勢湾台風により被災。名古屋線を標準軌に改軌。伊勢線は狭軌のまま復旧。伊勢線江戸橋駅移転。
 昭和36年 1月   伊勢線の江戸橋〜新松坂を廃止。 




 伊勢電気鉄道の江戸橋駅は現在の駅よりもやや南側の地点。この辺りだけ道路の幅が広くなっているのでそれと解る。が、初めての土地でそれを探そうと思ってもなかなか見つけられない。この辺りは非常に狭い道が入り組んでいるのだが、交通量が多く難儀する。



 A地点










 部田(へた)駅へ至るルートは一部が道路となっている。市街地で意味無くカーブしている場所は、よく廃線跡であったりするのだが、ここも例に漏れない。左側の変電所は、かつてから変電所として存在しており、現在も近鉄名古屋線の変電所として稼動している。




 B地点









 津駅前の道ということで、車を寄せる場所にも苦労するが、ここが部田駅の跡。現在はバスの営業所になっているが、ホームの跡が残っていた。







  C地点








 ホーム跡のアップ写真。ほぼ原型をとどめている。まぁ壊したところで意味もないので、運よく残ったという感じである。






 C地点










 廃線跡は、一部が道路として残っているが、痕跡がないのでスルー。安濃川を渡る地点まで移動する。ガードレールを覗き込むと、橋台がしっかり残っていた。しかし、橋脚は全く痕跡がない。





 D地点










 対岸の橋台は民家の敷地内。いけそうもないので、対岸からズームで撮影してみた。








 E地点









 橋台の江戸橋側に続く細い路地がどうやら廃線跡の道のようだ。





 D地点から北へ向かって












 廃線跡は市内をカーブする広い道路となる。どの辺が廃線跡かといわれると定かではないが、パターンとしては左側の側道がそれっぽい。




 F地点











 岩田川橋梁はそのまま道路橋として転用された。どうやら下路プレートガーター部の上にそのまま舗装道路を乗っけた構造のようで、センターラインは存在せず、代わりに一車線ずつU字状の溝の中を走るような感じ。レールをそのまま進む鉄道には向いているが、自由に向きを変える自動車が通るとなると、下路プレートガーターという構造は非常に圧迫感があって何となく嫌。



 G地点







 この先もほとんど廃線跡は道路になっていて、非常にわかりやすいのだが遺構もほとんど無いために廃線めぐりの面白みはないといえる。が、現状はこうなんだということを伝えることも重要と言い聞かせながら先へと進む。





 H地点








 結城神社前駅の跡である。あえて言えばこのすし屋のスペースが駅跡なんだろうが、言われなければ解らないほど、普通の道路風景。
 しばらく立派な道が続くのだが、やがてT字路の交差点に突き当たる。そこからは生の路盤が残っているようだ。




 I地点











 T字路交差点の先に、公園化した路盤の跡が残っていた。ようやく廃線めぐりの雰囲気が上がってきた。まぁ100%生の路盤ではないが、廃止時期を考えると市街地でそのまま残っているほうが奇跡に近い。


J地点













 橋桁自体はオリジナルではなさそうだが、橋台はもちろんオリジナル。桁は複線のど真ん中に単線分の幅しかないので、架け替えたのであろう。





  K地点










 ちょっとピンボケ写真になってしまったが、さらに跨道橋の跡も残る。現在は廃線跡に水道管が埋設されているらしい。





 L地点












 廃線跡の築堤がしっかりと残っている。この後雲出川を渡る為に高度を上げているのだ。



















 雲出川の橋梁は、河川工事の為橋台は存在しない。橋脚はそのまま水道橋として利用されているのだが、さっきのピンボケ写真といい、カメラがやや不調。橋脚写真を消失してしまうw現在ももちろん残っているので、気になる方は鉄道廃線跡を歩くUP96を参照願いたい。




 M地点









 ナビのログから判断して、橋を渡った後のこの細い路地は廃線跡のようだが…。複線の路線なので違うかもしれない。
 この周辺は徐々に開発が進んでおり、廃線跡のようなそうじゃないような…という状況がしばらく続く。















 三渡川を渡る手前のポンプ場敷地内が廃線跡の模様。が築堤等の遺構はない。


















 が、振り向くとしっかり橋台が現存。



















 情報では橋脚が残っているはずだったが、ご覧の通り。全く何もない。




















 が、よーく川の中を見ると橋脚の土台が残っていた。確認できたのは、一番手前のモノだけであったが。


















 橋を渡ると、また微妙な道路に。左の遊んでいる土地は、後から造成?





 R地点












 そのまま進むと、近鉄山田線との交差地点、松ヶ崎駅の跡。
 手前の手すり付きのスペースがホーム跡らしいのだが。バス停があったはずが無くなっている。バスすら見捨ててしまったのか。
 この後、思いっきり松坂市内をスルーw



 S地点










 左へ折れる道のど真ん中辺りに、徳和へと登るアプローチの橋台があったのだが、道路拡張の為に消失している。
 ここから先、鉄道廃線跡を歩くUでは現存していた遺構が、住宅地開発等の為に消失しているケースが続く。



T地点










 あきらめて、先へと進むこととして、県道37号線が廃線跡。旧国道23号線である。


















 だいぶ伊勢に近づいて、ようやく橋台の遺構を発見。資料にはもっと遺構が載っていたのだが、周辺を隈無く探すも他の遺構は発見出来なかった。路盤と思える跡に新しい住宅が建っていたので消失したのかもしれない。




 W地点











 唯一見つけた怪しい何かの遺構。もしかしたら架線柱の土台かもしれないが確証は無い。

 ログを見る限り、このコンクリの左側が路盤の跡のようなのだが…。




 V地点











 伊勢市内に入り、第一隧道が拡張されて残っている。この周辺が山田西口という駅があったのだが、全くわからない。




 X地点













 ほとんど距離を置かずに第二隧道も拡張されて自動車用に。







 Y地点










 大神宮前の駅はNTTに。なんとなく嫌wNTT嫌いw
 ここから外宮まではそんなに距離は無い。
 帰りは外宮では無く、内宮へ参拝。これが初詣となる。伊勢神宮なんて、行ったら馬鹿高い駐車料金取られて、しかも参拝料もごそっと取られたりするのかと、一瞬行くのを躊躇したが、ここまで来て行かないのも何なので行ってみた。なんと駐車場はタダ。参拝料ももちろんナシであった。どこかのありがたみも無い神社とは大違いだw伊勢神宮はまさに神域であった。ちょっと霊感強い人なら、多分空気が違うのがわかると思う。境内でにやけて馬鹿話をする雰囲気ではないのだが、日本のおばちゃんはどこに行っても本当にうるさい。いつか神罰が下るだろうw

Z地点
おわり


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