弘南鉄道黒石線 川部〜黒石 青森県 2005.6.2踏査


 私とBAKUがこの地を訪れるのは2回目である。それは現役時の時と併せてではなく、廃線となってからの話である。なぜ今まで発表しなかったかといえば、当時私は銀塩で写真を撮っていた。そのネガをなくしてしまったのだ。今、デジカメでデータを一気に紛失したら狂気に陥るであろうが、当時の私はまさかHP上で発表するだろうなどと微塵も考えていなかったので、あっさりしたものである。兎にも角にも、再びJR奥羽本線川部駅を訪れた。早速現場の地図を見て頂こう。

 
 弘南鉄道黒石線は元々は国鉄黒石線として大正元年に開業した奥羽本線川部駅〜黒石駅間のわずか6.2qを結ぶ盲腸線であった。同じく黒石に乗り入れていた弘南鉄道の傘下となり弘南鉄道黒石線として再スタートをしたのは昭和59年の事で、弘前周辺に一大路線網を築こうと画策していた弘南鉄道にとっては、国鉄黒石線の廃止は願ったりかなったりであったかにみえた。しかし、わずか6.2q、途中駅が1カ所というこの路線を組み入れたところで収支の折り合いが合わず、結局平成10年3月31日で廃止となった。



 JRとの接続駅であった川部駅からは4番ホームから発着していた。現在の川部駅は数多くあった側線も大部分が撤去されたかに見えた。写真奥、レールの延長上に広大な側線があった。

















 黒石線とはからみはないのだが、廃線を見てほっておくわけにもいかない。側線があった場所には、フェンスで区切られているものの、何とそのほとんどのレールが残されていた。
 黒石線を廻る前の前菜といったところか。しばしそのヤードの跡を巡り、かつての川部駅を想像する。














 さて本題の黒石線であるが、先ほどの踏切から北にいった場所から東(写真右方向)へとそれていく路盤が残る。以前来た時にはまだレールも敷かれており、かなり生々しい印象があったが、あれから既に3年の月日が流れた。
 しかしよく見るとレールが撤去されたのは、そんなに前の事ではないようで、バラストにくっきりと枕木の敷かれてあったくぼみがそのまま残っている。













 地図を見ておわかりかと思うが、この路線はほとんど直線で構成される。この川部駅から分岐するカーブが最も大きいカーブである。





















 カーブを抜けてすぐの、かつての踏切跡。以前はしっかりと警報機なども残っていたが、今は道路も舗装し直されて、その形跡は全く無くなっている。

















 踏切を渡った先には2つ程連続して小橋梁が残る。川部よりの物はIビームで構成されるが、こちらはガーダ橋梁がそのままに残る。厳密な言い方をすれば「作錬式」あるいは「作30年式」のプレートガーダである。これらの形式の大きな特徴は、補剛材の上下の端部が「J」の字に曲がっていることである。標準設計はイギリス人技師・ポーナルによって成された。これらの設計は明治18年から明治30年にかけて設計された事から、この橋梁も開通当初から架け替えられず使われていたと推測できる。ただ、他の場所からの移設ということもありうるが。











 「横沢北」の銘が橋梁の構造に残る。




















 田園地帯を真っ直ぐに突き抜ける路盤跡。この辺りから、遠くに見える重機と、路盤横に無数に打たれている杭が非常に気になる。



















 
 不安は現実となる。路盤の跡は大きく削られて、2車線の道路になろうとしていた。渋滞とは無縁そうなこの町に、一体これほどの道路が果たして必要なのか?単なる抜け道・そしてそんな道は事故のメッカとなるのは目に見えている。まぁ中途半端に遊歩道にされるよりはましか…。鉄道の最たるデメリットは、「町を分断」することにある。そう言う意味では、このような立派な道路に生まれ変わるのは、意味のある破壊であろう。遊歩道は死して尚、町を分断する。百害あって一利無しである。本気で町を良くしようと思っている自治体なら、遊歩道またはサイクリングロードにするという愚かな選択はしないであろう。ぶっつぶして田んぼにした方が世のためである。










 余生も少なくなった踏切跡。ここにはまだ多くの踏切機器が残されている。がおそらくは今年の終わりには姿を消しているであろう。最後であろう姿を目に焼き付ける。



















 かなり期待薄であったが、道路建設のまっただ中にぽつりとその姿を残してくれていた「前田屋敷停留場」。唯一の途中駅であった。レールと枕木が無い以外は、ほぼ現役時の姿を残してくれていた。



















 しかし、ここの命も長くはないようだ。ホームの西側が既に撤去されつつある。黒石線の最後の抵抗。「もっと頑張ってくれ。」つい心の中でつぶやく。しかし、重機の力はきっとそんな願いなどわずか小一時間で無にするであろう。
 

















 待合室の中には運賃表と時刻表が残っていた。「高い」正直な感想。おそらくバスで行けば川部駅までは120円くらい。これではもつまい…。230円も払ったら、東京ならJRで東京〜渋谷まで余裕で行けたはず?

 それにしても、廃線の駅は何とも言えない気を醸し出している。それはきっと鉄道という構造物の集合体の中で唯一、人の生活を感じさせる空間だからに違いない。既にここを利用する術はなくとも、何十年という人の生活積み重ねられた気が凝縮された空間。そんな廃線の駅が私は好きだ。










 ホームに登り最後の別れを惜しみつつ、前田屋敷駅を後にすることとした。





















 前田屋敷の向こうはまだ路盤がそのままに残る。しかしはるか遠くに重機が見える。断続的に工事は進められているようである。




















 黒石に近づいた地点にも連続した小橋梁が残っている。





















 煉瓦造りの橋台。しかしこの場所にも道路拡張の杭が打たれる。おそらくはここも消え去る運命にある。




















 この後は、黒石駅近くまで道路建設が進んでいた。一旦道路が途切れるのは、国鉄黒石線の旧線との分岐点地点手前である。




















 写真の右方向にカーブする築堤が、弘南鉄道の廃線跡である。やがてこの先で、弘南鉄道弘南線と合流する。写真奥に向かって真っ直ぐ進むのが国鉄黒石線の廃線跡で、弘南鉄道に譲渡された際に廃止されている。


















 国鉄黒石線の廃線跡にもまだこのような橋台が数カ所残っている。

 やがてこの廃線跡は住宅に飲み込まれて判然としなくなる。


















 弘南鉄道の黒石駅には黒石線の検修庫がそのままに残っていた。黒石線が入線したホームは現在は使われている形跡はない。




















 かつての国鉄黒石駅の跡は、現在駅前広場となって生まれ変わった。


 非常に微妙なタイミングでの踏査であったが、この数年後の姿を今回の踏査と対比してみたいとも思う。
 今の姿がギリギリの姿であろう。皆様もお急ぎあれ…。


END

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