仙台鉄道 1 改訂版 通町〜中新田 宮城県 2004.5.30踏査開始


仙台鉄道の沿革は予告編を参照して下さい。

  開業時の仙台鉄道の始発駅は通町で、後年長い間始発駅となった社北仙台駅よりもやや西よりの地点であった。この始発駅の変更は仙台市電が北仙台まで延伸したことにより、仙台市電との交差部以西が廃止となったことによる。


 昭和5年当時の北仙台周辺は現在とはだいぶ様子が違い、平成の現在主要道路となっている道路もまだ整備されていない。それでも青葉神社(地図左上)周辺や現JR北仙台へ西北からアクセスする道路などは今も残っている。青葉神社前の道路が旧街道になっており、街道に駅を近づけようという、まだ街道重視の時代だったことも何となくわかる。
















 現在は主要県道仙台泉線(旧4号)や、通町駅があった頃にはなかった道路が多数存在しており、通町駅の位置は社北仙台駅からの延長線上という目安を用いて推測するしかないのだが、現在も怪しい小道などが多数存在し、果たして?という想像をかき立てられる。




















 現在の通町駅があったと思われる場所である。様々な変遷を経て、仙台のど真ん中で平成の世の中になっても駅跡が未だに更地というのも、なかなか面白い。といってもここにずっと何も無かったわけではなく、建物が建っていた事もある。




















 駅跡の片隅に、怪しい一角。建物そのものは新しいのだが、全て道路に背を向けている。かつての鉄道の名残?であろうか。























 このような、不思議な小道もあったりするのだが、地図上で真っ直ぐ直線で描かれている軌道跡とは多少ズレが生じる。ただもしかして、地図が適当だったら・・・なんていう想像をかき立てられる。




















 仙台浅草と名付けられた小さな商店街。この道も仙台軌道の跡と言われている。正面の高い建物が、社北仙台駅跡に建てられたマンションである。























 現在の社北仙台駅跡。長らく宮城交通(仙台鉄道が合併社名変更)の本社として利用されていたが、泉地区への本社移転のため、現在はマンションが建てられている。駅跡とは言っても、この周辺はほとんどが駅構内となり、広いヤードなども存在していた。



















 県道との交差地点。JR線は昔から橋梁で交差していたが、仙台鉄道はその手前の地上を仙山線に沿うように走っていた。






















 この先の軌道跡は、ほとんどが市道となって現存している。写真は上杉山中学校の裏手のカーブ。残念ながら、遺構らしき物は何も残っていない。






















 それでも、古い家を探すと市道に背を向けた家が残っている。写真に写った門は後年作られた裏門の様で、「正面に回って下さい」という旨の注意書きが書いてあった。これも軌道の名残であろうか?





















 現在は何の変哲もない市道の交差点だが、かつてはこの場所に川が流れており、橋梁で渡っていた。現在その川は梅田川に流路変更されてしまったようだ。その為か交差する市道は周辺の道路に比べて異様に広くなっている。仙台市営地下鉄の設計にも携わった亀谷氏の話では、道路化後に行われた下水道工事の際に旧橋梁のレンガが発掘されたそうである。その様子を撮影した亀谷氏の写真が「鉄道ピクトリアル」1963年12月号に掲載されている。ちなみに今回の改訂版の作成に当たっては亀谷氏のお話しを多分に参考にさせて頂いている。特に地下鉄路線選定時に、仙台鉄道の軌道跡も考慮されていると言うことで、廃線跡の確定にかなり重要な証言も頂いている。


 A地点







 
 少し行くと東照宮前駅の跡。現在はマンションが建っており、何の痕跡も無いのだが、ホームの位置は道路右側の白線の辺りであった。


























 仙台鉄道の紹介写真ではかなりおなじみになった、仙山線との交差地点。ガードの幅が、仙台鉄道時代そのままで、この周辺の唯一の遺構といっても良いだろう。


 このガードには今でも仙台鉄道の名が残っている。



 B地点














 小松島小学校の横を通る廃線跡は、Y路に別れる道路の右側の道。























 旧陸軍墓地の横を通る辺りから廃線跡は住宅が建ち並ぶ。正面の家が軌道の跡。

 このあたりから、地面を歩いていると一見して廃線跡はわからなくなってしまう。





















 だが、空中写真を見ると家の並びから廃線跡を推測することが出来る。

 C地点


























 坂の頂点附近では再び廃線跡が道路として現れる。しかし、この道路が完全に路盤跡かといえばそうではなく、実は道路化するに当たって2〜3mの盤上げを行っている。この辺りはかつては切通で抜けていた。左の斜面がかつての切通の名残であろうか?。現在は周辺の住宅地にあわせた高度になっている。
 このカーブを曲がれば、仙台鉄道の最大の難所、台原の坂である。


 D地点














 現在はその面影も薄くなってしまった廃線跡の都市計画道路。坂の頂点から下へ向かって撮影しているが、ここが難所と言われた所以はこの坂のだらだらした長さにある。勾配の大きさで言えば、北仙台からここに登る方が急なのだが距離は短い。しかし実際は北から登って来る方が、かなりの苦労を強いられたという。とは言っても、北仙台側の坂も登れなければ、北仙台まで退行して再び登り直したという話も聞く。
















 これが仙台鉄道で使われた協三工業製10号機関車(C10)の図面。仙台鉄道の主力となった蒸気機関車で、C101、C102、C103の3機が製造された。このうちC102が末期まで生き残った。





















 宮城交通が発足し10周年記念に作られた記念の乗車券。仙台鉄道で使われた蒸気機関車等がデザインされていた。
左上が協三工業製C101
右上がコッペル社製B73
中段左がC102
中段右が協三工業製B81。このB8型はあまり成績が芳しくなく、2年程しか使われなかった。
最下段が協三工業製DB701。この機関車はディーゼル動車で、仙台鉄道末期の加美中新田〜中新田間で運用されていた。






 第一回終了





第二回へ


廃線メニューへ

トップページへ