仙台鉄道 3 改訂版 通町〜中新田 宮城県 2004.5.30踏査開始


仙台鉄道の沿革は予告編を参照してください。



 
 第三回目は、七北田駅から志戸田駅までの区間をご紹介していく。
 先ずは順を追って、山の寺駅付近までの地図をご覧頂きたい。






 




 七北田駅跡から北側は、国道4号線バイパスと交わるまで軌道跡は市道となっている。近くに東北学院大学の泉キャンパスが出来た後は、この近隣にもマンションが建ち並び、狭い裏道にも関わらず朝夕の通学時間はたくさんの学生達がこの道を行き交う。 A地点
















  ちょうど軌道跡が交わる場所にバイパスに架かる歩道橋があって、この上から眺める軌道跡の写真は仙台鉄道を紹介するサイト等でよく紹介されている。実は、この歩道橋の国道上り線に接する橋脚の土台敷地が、仙台鉄道軌道跡に沿って切り取られている。ちょうどその延長を眺めると、先ほど歩いてきた軌道跡の道へと一直線に通じる。
 

 B地点


















 歩道橋下の土地区割り。













 この直後の軌道跡は、現在ガソリンスタンドや焼肉店になっており完全に消失しているが、かつては焼肉店の裏手を流れる要害川に煉瓦の橋台が両岸とも残っていた。しかしこの橋台は護岸工事によって消失した。私の子供時代は、この橋脚跡に登って遊んだりしたものだが、その時の記憶を頼りに橋脚があった場所へと行ってみると、川底に破壊された橋台の煉瓦がごっそりと横たわっていた。周辺はかつて山の寺ニュータウンとして造成されており又、要害川の流路も変更され、今は軌道跡を追うことは出来ない。 C地点







 川底に横たわる橋台の残骸
 第一要害川橋梁(仮称)














 護岸工事中の、破壊直前の写真。

 かなり良い状態であっただけに悔やまれる。














 要害川に沿って国道4号線バイパスを歩いていくと、冬枯れの季節であれば要害川に架かるもう一つの橋梁の橋台が片側だけ現存しているのを見ることができる。川の流れが変更されている為、おかしな場所に橋台があるのだが、仙台鉄道の遺構でも最も状態が良い遺構なので、ぜひ見ておきたい。
 


 D地点



 第二要害川橋梁(仮称)の橋台
 唯一現存する煉瓦遺構。










 橋台の高さと比べながら軌道跡を追うと、そこから北の部分は土が入っているようで軌道跡そのものを観察することはできない。しばらくすると又要害川を渡るのだが、橋梁遺構は見つけることが出来なかった。しかし古川側の路盤が水路が埋設されているようで、そのまま利用されている。ここから軌道跡は国道の側道になり、山の寺駅へとたどり着く。

















 山の寺駅は日本三大山寺とも言われる山の寺洞雲寺の参道近くに設置されていたが、当時を知る人でもこの駅は印象が無いという。駅と言うよりは、簡易なホームがある山の中の停留所といった感じだったようである。仙台鉄道営業当時は、今は団地化が進みバイパスが通るこの地域も、当時の地形図をみると寂しい山の中といった感じである。尚、山の寺洞雲寺の山門はかなり立派なものだったらしいが、仙台鉄道の蒸気機関車が出した火の粉によって消失したと言われている。
 E地点


 駅跡は現在の山の寺への参道入口北側だったようだ。この参道はバイパスを挟んで旧陸羽街道へと通じる。(現在は分断されてしまっていて、横断歩道なども無い)









 側道になった軌道跡がしばらく続くが、現在牛丼の吉野屋がある場所で、川沿いに迂回しいずみパワーモールのある敷地へと出る。この敷地内の軌道跡も現在は全く推測することが出来ない。思えばこの周辺も水田だけで、私が遊んだイモリが居る沢もあったはずだが、今は見る影もない。




 F地点手前




 吉野家の駐車場。軌道の痕跡を追うのはもはや不可能である。奥の赤い建物がいずみパワーモール。






 私の知っている時代だけでも、この周辺の国道4号線は要害川の改修や、拡幅工事等により激変している。特に拡幅の影響と将監ランプの建設による影響は大きく、軌道跡方向に対して拡幅を行ったため、現在はほぼ消失している。また軌道跡には現在商業用の分譲地が整地され、道路の拡幅を免れていても痕跡は残っていない。



 ここから陸前大沢駅があった場所までは、ほとんどがバイパスの拡幅によってその痕跡が失われている。私の推測した軌道図は昭和20年発行の地形図と昭和22年に米軍が撮影した空中写真を参考にして作成した。橋梁の位置、数などは、それを参考に特定している。ちょうど泉インターチェンジのある場所に、インターのカーブに沿ってわずかながら軌道跡を転用した市道が現存している。しかし、その後は周辺開発により完全に消失し、陸前大沢駅の跡は現在東北自動車道の築堤に埋まっている。






 もはや、国道4号線沿線の軌道跡は完全に消失している。












 インター出口のわずかに残る軌道跡の道。

 G地点

















 



 陸前大沢駅は東北道の下になってしまった。
 



 H地点


















陸前大沢駅を出ると、仙台鉄道は陸羽街道の坂を避けて大きく西へ進路を変える。この後は県道としてほとんどの区間が転用されているので、富谷駅辺りまでは容易に巡ることが出来る。しかし、一部の区間が現在付け替えのため通行止めになっている。果たしてこのまま通行止めのままなのだろうか?もしそうなら、同じ場所で、廃止を2度繰り返すことになってしまうのだが。








 パチンコ店のある交差点で、国道から西に入る。









 陸前大澤駅から先はしばらく谷間を抜ける2車線の道路となっている。かつての軌道がどの辺りだったかは、現在ではわからない。ただ、軌道跡らしくアップダウンのほとんど無い道である。富谷からの裏道として、比較的交通量も多い。

 I地点




















 

 軌道跡が2車線道路になっていて巡り易いのであるが、現在高規格の新道路が建設中であり軌道跡の道が途中で通行止めになっている。(地図には反映されていない)昭和50年度の空中写真を見ていると、他に道路に転用されていないらしき痕跡も見られるのだが、こちらはさらなる調査後に反映したい。

 J地点
















 黒川小野駅の跡には現在倉庫が建っている。現在でも駅の雰囲気が少々残っている。駅舎そのものは道路右側(西側)にあったそうである。
 K地点(写真は仙台方向)

 周辺を見て歩くが、鉄道に関する痕跡は探すことが出来なかった。



















 上の写真のほぼ同一地点。
 廃止約10年後に亀谷氏が訪れた時の写真。
 駅前の松の木がそのままだ。


 












 そのまま舗装道を進むと、軌道跡が道からそれて砂利道になり、竹林川を渡る場所で一度途切れてしまう。川に橋梁の跡は残っていないが、現在架かっている新しい橋とは違い、川に対して斜めに架橋されていたようだ。



 L地点
















 橋梁があった場所。堤防にわずかな痕跡が残るが、圃場整備の為築堤も切り崩された。
 















 川を渡った後は山に突き当たるように進むが、そこからは再び築堤が復活し、富谷駅へと至る
 ここは鉄道のきれいなカーブが残っていた。
 正面の青い屋根の建物辺りが富谷駅跡である。







 M地点












 富谷駅の跡は、今ではほとんどわからないが、富谷駅を中心とした区間は築堤がきれいに残っている。

 富谷駅跡に隣接した場所には現在も古い農業倉庫が残っている。
 現在はとても鉄道の駅があったとは思えない場所である。






 N地点











 富谷駅から北へ向かいきれいに築堤が残っている。左の林の中にイグネ作りの古い民家があって、こちらの住人の方に当時の話を伺った。
 余談だが、実はこちらの家がNHK朝のテレビ小説「天花」で使用されるロケ地の第一候補だったとか。あまり表に出るのは好きじゃないとのことで、イグネを見せてくれという人は、ちょっと…だそうである。私も最初はかなり警戒されたが、仙台鉄道の話ということですっかりうち解けた。最初はかなり緊張が走ったが(笑)





 O地点






 その後再び竹林川を渡るのだが、ここの橋梁も架け替えられている。話によると、結構最近まで残っていたらしい。地元の方は「別に頼みもしてないんだが、新しくしてあげるから…」のような口調で勝手に工事は進んでいったらしい。裏で何があったかは定かではないが、農作業用の軽車両しか通らない砂利道の橋にしては確かにオーバースペックな橋が今では鎮座している。




 私の立ち位置が軌道跡の終端で、ここから斜めに架橋されていた。昭和50年度空中写真にはその姿がまだ残っている。
 軌道は山に突き当たった辺りで右へ向きを変える。
















 ここから先の区間はしばらく消失してしまっている。昭和50年度の空中写真を見ると、整地された田んぼの中にうっすらと軌道の跡がかろうじて浮かび上がっているが、現地で同じ高さの視点で見てもわかるものではない。その後の痕跡は現状からはどこを通っていたのかが推測できない。現在の舗装道路なのか、それとも集落の中なのか…である。これは空中写真を凝視しても判別困難であった。たまたまいた地元の人に聞いてみたが、いまいちこちらの趣旨が伝わらなかったようで話を聞き出せなかった。




 圃場整備ですっかり様子が変わってしまった。写真は軌道跡から少し離れて、東から西へ向かって撮影。(左から右へ軌道跡が横切っていた)
 真ん中の白い建物の手前辺りを走っていたはずである。
 奥に見える山々が通称「七ッ森」で、奇妙な形の山が連なっている。


 


 P地点












 二関のバス停辺りから、志戸田に向かう町道は、どうやら軌道跡のようである。そのまま進むとやがて志戸田駅跡へと至るが、その場所には地元の子供達によって描かれた仙台鉄道の絵が飾ってあった。









 Q地点









 ここが志戸田駅跡という記述は無いのだが、周辺の様子からここが駅跡であろう。
 国道4号線の宮交バス志戸田停留所から少し西に入った辺りである。
 仙台鉄道にまつわるモニュメントは非常に少ないのだが、観光資源としてもう少し生かせないかな?とも思う。こうした鉄道なんて想像もつかないような場所に、記念碑やちょとしたものがあるのがいいと思う。(ただし都市部の遊歩道は論外である。山の中ならともかく、鉄道を廃止してまでも交通を遮断するのは意味がない。)


 R地点

第三回終わり

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