東北本線は各地において従来の奥州街道から外れた場所を出来るだけ直線的に敷設されたため、宿場町として栄えた東北本線から離れた町とを結ぶ小私鉄を敷設しようという機運が各所で高まった。南部鉄道もその中の一つで、昭和4年(1929年)7月、五戸電気鉄道として開業したが、電化はしていなかった。その後実情に合わせて五戸鉄道、南部鉄道と改称し、昭和43年(1968年)に起きた十勝沖地震により37箇所の不通箇所が発生するまでの39年間、営業を続けた。翌昭和44年3月で正式に廃止している。![]() 尻内駅(現八戸)はJR八戸駅の西側にあり、自販機のある商店が南部鉄道時代の駅ホームにあった売店である。ポールの立っている場所がホームがあった場所で、以前は段差になっていたが、東北新幹線八戸駅の開業に伴い、周辺の道路もだいぶ様子が変わってしまっている。 A地点 ![]() 廃線跡はこの辺りをカーブで抜けていたが、現在はまったく痕跡は見つけられない。八戸駅の西口開発が始まれば、さらに周辺の様子は激変するであろう。 B地点 カーブが直線に変わるあたりで、南部鉄道の痕跡がわずかに残る。正面の民家が建つ場所が廃線跡で、手前の駐車場へと続いている。 C地点 ![]() 上記の場所の延長には未転用の路盤がわずかに残っている。 しかし鉄道廃線跡を歩くWの写真と見比べても、かなり住宅が増えている。 南部鉄道の石碑がその場所を示す。 このあと、廃線跡は国道454号に転用され、線形以外に痕跡はない。 C地点 ![]() 正方寺の駅舎は、骨組みだけがなんとか残っている状態。残っていると期待していた物件だったのだが、ほとんど崩壊していた。 D地点
しばらくは川沿いの細い道路として、廃線跡が残っている。特に歩行者専用というわけではないようだ。E地点 七崎駅のあった場所は、交換設備のあった場所だけあって、広くなっている。しかし、川幅自体が河川整備によって広がっているようで、廃線の路盤自体は堤防に取り込まれてしまっているようだ。実際は土手の辺りが廃線跡と思われる。F地点 ![]() 志戸岸駅のあった辺りは畑になっていた。この周辺は十勝沖地震により築堤が崩壊する被害を受けている。 G地点 志戸岸駅から先の廃線跡は再び道路となって現存していた。H地点
![]() 解りづらくて恐縮だが、廃線跡は藪の中に細々と埋もれている。丁度写真の中央を右から左へ横断している。 I地点 ![]() 現在の県道を廃線跡が横切る地点に、石碑が建てられている。 J地点 ![]() かつては正面の坂の場所に隧道の入り口があった県立種鶏場前駅の跡。 写真は尻内方向へ向って。 K地点 全通二十五周年の石碑が駅跡に残っている。K地点 ![]() 五戸駅までは、道路に転用されていて、完全に痕跡はなくなってしまっている。 L地点 五戸駅の近くにわずかに残る廃線跡。M地点 ![]() かつての車両基地はバスターミナルに。ぽつんと置かれた貨車は南部鉄道に由来するもの? N地点 ![]() 駅舎があった場所は、バス待合所になっていた。鉄道廃線跡を歩くWに写っている駅前食堂も今はなくなっている。 N地点 END
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