南部縦貫鉄道 その1 七戸〜野辺地 青森県 2005.6.1踏査

 以前から行こう行こうと思いつつ、岩手支部長に遠隔踏査させた上に失敗に終わったこの路線。ようやく総裁である私が動く時がやってきた。といいつつも、かなりその場のノリで行くことにしてしまったのであるが、とりあえず前置きばかり長くなっても仕方ないので先へ進めることとする。

 南部縦貫鉄道はその独特なレールバスと呼ばれる車両で良く知られた私鉄であった。レールバスという言葉自体は第三セクターの私鉄などで良く使われる言葉ではあるが、南部縦貫鉄道のそれは鉄道車両でありながら、クラッチとチェンジレバーまで着いているという変わり種で多くのファンを魅了した。
 さて、南部縦貫鉄道自体の沿革であるが、昭和28年に千曳〜七戸間を着工するも資金不足により頓挫。その間、政府出資の東北開発が南部縦貫鉄道を砂鉄の輸送手段として使用する計画を立て出資したことにより、昭和37年10月に千曳〜七戸間が開業した。東北の数多ある小鉄道がそうであったように、南部縦貫鉄道も東北本線という大幹線から取り残されたかつての陸羽街道沿いの町を結ぶという役割を担っていたが、この南部縦貫鉄道は他の多くの路線に対してかなり遅い開業であったといえる。この時点でモータリゼーションの到来を予見出来ていたなら、もしかしたら計画すら無かったかもしれないタイミングであった。



 結局砂鉄輸送の計画も無くなり、南部縦貫鉄道は旅客鉄道としてあのレールバスを用い運行を続ける。そして昭和43年、東北本線の千曳〜野辺地間が勾配緩和の為付け替えとなったのを機に、南部縦貫鉄道は国鉄から旧線区間の一部を貸与され野辺地〜七戸間の運行を開始する。この時千曳駅は西千曳と改称され、東北本線の千曳駅とは直接接続しない駅となった。
 そしてかなり苦しい経営を続けた後、ついに平成9年に休止。実はこの時点で本当は廃止の予定であったのだが、全国的に有名なレールバスの休止とあって、休止間際は地元は大フィーバーとなる。そしてそのファンの熱意に押されて廃止を撤回し休止扱いとしたのである。東北新幹線開業時には七戸駅との接続路線となることにわずかな望みを残して…。しかし、その望みを絶つ形で平成13年の取締役会にて廃止を満場一致で決定、平成14年正式に廃止となった。

 さて皆様には私の辿った順に旧七戸駅からご覧頂くこととする。
 現在の七戸駅は「南部縦貫株式会社」の本社として現存している。鉄道という文字は社名からも消えてしまったが、その社屋の壁には今も「南部縦貫鉄道」の文字が誇らしげに残る。
















 七戸駅の構内は、イベント列車を構内で運行する関係で今も当時の状態をほぼ保っている。左に見える倉庫が車庫で、あの中にレールバスが眠っている。イベント時に行ったのか、一部のバラストは敷き直され、倉庫からそのレールに繋がるポイントには給油もされており、いつでも利用できるようになっているようだ。










 七戸駅の外れから、構内方向を見たところ。しっかりと整備されているのは一部だけで、それ以外は枕木も朽ち果てつつある…。

 この光景の中をレールバスを走る姿はもう見ることはできない。














 やがてレールは途切れ、そこから先は全てのレールが撤去された区間となる。
 この先は二度と列車の走らない区間。良くて現状維持、悪くて遊歩道。まぁここに遊歩道を造ったところで歩く人間など皆無だろうが、行政の年末予算調整工事は超危険である。どう考えたって利用する者などいない設備を平気で作りまくる。七戸町の建設課の人間が常識のある人間であることを祈る。










 七戸駅から伸びてくる築堤も現存。草は茂っているが、バラストも残っている。

















 
 高瀬川橋梁を渡る手前には踏切があったが、今は痕跡も残っていない。アスファルトの脇に踏切の土台であったであろうコンクリートがわずかに残る。
















 踏切の横には一本だけ取り残されたように通信用の架線柱が残る。この架線柱の形を見てBAKUが「宮沢賢治の童話を思い出すなぁ」と言った。
 あぁそうか。たしか「月夜の電信柱」という童話にこんな挿絵があったのを思い出す。一本だけ凛と建つその姿がまるでそのままの姿だ。夜に訪れて、後に三日月でもぽっかりと浮かんでいたら…。













 高瀬川の橋梁はレールと枕木が外されただけでそのままに残っていた。渡りたい衝動に駆られるが、何しろ後は国道。とりあえずやめておいた。














 高瀬川を渡った後も築堤は特に転用も受けずそのままに往時の姿を残す。写真の位置が崩れているのは、下の畑にトラクターを入れるために地元の人が崩したから。
















 田園風景の中を築堤で抜けてきた廃線跡は、ここから切通で進む。やはり地元の人の抜け道にもならず草むしたまま放置されていた。ここを歩いて抜けるのは酷なので、ぐるりと迂回して切通の向こうで交差する農道へと向かうこととした。















 未舗装の農道ながら、ここにも踏切の痕跡とわずかにレールが残されていた。なぜここだけレールが残されたのかは定かではないが。廃線踏査をしていて最も嬉しい瞬間でもある。
















 廃線跡は盛田牧場へ向けてさらに深い森の中へと進んでいく。やはりへたれ二人組は「時間がないから」という言い訳を口にしつつ迂回を決定。もしかしたら何かしらの遺構が残る可能性もあるが、そこは読者の皆様の踏査に期待しつつ。













 遮断機もない簡易な踏切であったのであろう。錆びて折れ曲がった踏切標識が、ここに鉄道があったことを語りかける。嬉しくも寂しい光景。やがて朽ち果てて土に還るこの標識をもう見ることは無いのかもしれない。



 第一回 終わり

 第二回へ続く








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