南部縦貫鉄道 その3 七戸〜野辺地 青森県 2005.6.1踏査


 


 営農大学校前からしばらく国道4号のすぐ脇を併走してきた廃線跡は、中野川を橋梁で渡る。
 





 中野川橋梁はレールが外されていること以外はそのままである。













 橋梁からは、築堤で進んでおりやがて中野駅へと至る。


















 中野駅のあった場所は、その敷地が広くなっていることでそれとわかるが、駅に関する構造物は何も残されていない。ここから先しばらくは、沿線中唯一路盤がまともに転用されている区間で、駅周辺も農道として利用されている。















 駅のすぐ北側には、中野中央公園が新たに整備されたようで、廃線のカーブをきれいにトレースして駐車場になっていた。こんな転用の仕方が、後々廃線跡を思い出させるような気がする。何十年か後に、おじいさんが孫に「ここには鉄道が通ってたんだぞ」と自慢げに話す姿が目に浮かぶ。遊歩道にした廃線跡からは、何のクリエイティブな思考も生み出さない。人々の生活道路になってしぶとく生き残って欲しいものだ。










 廃線跡は住宅の間の空き地として続きやがて、天間林村役場の近くで唯一駅舎の残る天間林駅へと至る。
 国道からも見えるので、見ている方も多いのでは。BAKUは気付かなかったが(笑)














 駅の手前には踏切の跡も残っている。


















 駅の構内は、広い敷地がそのままにしてあり、ホームも現存していた。



















 駅舎の中の一室に備品明細書が貼ってあった。こちらは駅務室であった場所。



















 ちょうど窓口を駅務室側から見たところ。かなり荒れてきている。

















 こちらは乗客が出入りした待合室や改札があった部屋である。


















 謎の電源スイッチ。「西千曳方」と「七戸方」は何となく理解できるが「国鉄」のスイッチは一体なんぞや?
 当時の国鉄線はかなり離れた場所であるし、天間林駅で操作するものが何かあったのであろうか?














 ホーム側から見た駅舎の姿。入っている時は気にしなかったが、写真を冷静に見ているとかなり危険な状態とも思える。

















 次の道ノ上駅は500m先の近接した場所にあり、駅に至る廃線上にはレールが残った状態の踏切跡がある。
















 所々にこういった踏切用の機器が残っている。


















 なぜかPC枕木の廃線跡。部分的にこういった素材を使う試みも行われていたようだが、全ては無駄になってしまった。保線経費の節減の為のPC導入であったであろう。















 中途半端に片側だけ残されたレール。枕木の姿は見えない。反対側を少し掘ってみたがやはりレールは無かった。

















 駅舎などは無いが、充分に駅の趣を残す道ノ上駅跡。撤去された枕木が集積されている。
 廃線跡はさらに一直線に北へと向かう。





 第三回終わり

 第四回へ続く

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