![]() ![]() 道ノ上駅を過ぎてしばらく未転用の路盤が続き、坪川を渡るところで坪川橋梁が橋桁ごと残っている。 このプレートガーダの外見上の特徴は補合材(スティフナー)の端部がJの字型に曲がっていることである。これは作錬式と呼ばれるイギリス系の設計を踏襲したシリーズに見られる特徴であるが、この他に作三〇年式、作三七年式等があるが、いずれも国鉄系の標準設計であるため私鉄で利用されている場合、どこからかの転用である可能性が高いと思われる。私鉄系では日本鉄道型や関西鉄道型等もあるが、いずれも古い設計である。 ![]() この部分が補合材。いずれ、明治期の古い設計であることと、南部縦貫鉄道の開通時期を合わせて考えると、転用されたものと考えるのが自然であろう。 ![]() 坪川駅は、坪川を渡ったすぐの築堤上にあって、頼りない木の階段を上がった場所に建てられていた。昨年末頃まで駅舎も現存していたが、現在はホームを支えていた木杭の列が残るばかりとなった。 ![]() 坪川駅から続いた築堤は、段々と周囲の標高に近くなり、坪駅辺りでは周辺と同一標高になる。写真は坪駅跡に残るホームだが、ホーム以外の遺構は完全に撤去されている。 ![]() 坪駅を出た場所には踏切の跡がレール付きで残っていた。廃線跡は再び森の中へと進んでいく。 ![]() ![]() 後平駅付近は再び築堤となり、民家の裏を抜けている。 ![]() 後平駅のホームは木造のホームで、だいぶ朽ちつつも残っていた。 この後廃線跡は小高い丘のような築堤で大きく西へカーブしていく。 ![]() 廃線跡を再び容易に見ることが出来るのは西千曳駅の周辺で、ここまでが南部縦貫鉄道が敷設した廃線跡である。 ここから野辺地まではかつての東北本線であった旧線跡を利用しているが、全ての東北本線旧線跡が利用されたわけではない。写真左の砂利道が東北本線の旧線で、右端に見える小高い場所が南部縦貫鉄道の築堤である。写真は東方向。 ![]() 東北本線の旧線と南部縦貫鉄道の廃線跡が合流したところが、西千曳駅で、旧東北本線の千曳駅であった場所であるが、南部縦貫鉄道の駅は写真の資材が積まれているあたりにホームがあった。東北本線千曳駅のホームはさらに西に入った場所にある。 ![]() 東北本線のホーム跡は草に埋もれながらもまだ現存していた。かなり距離の長いホームで、蒸気時代は千曳〜野辺地間も難所の一つであり、長大編成の貨物にも対応出来る駅であったことが伺える。 次回は最終回。 旧東北本線の遺構と、西千曳〜野辺地間の南部縦貫鉄道跡をご紹介する。 第四回終わり 第五回へ続く。 |