| 日本硫黄沼尻鉄道は沼尻鉱山より産出する硫黄鉱石の輸送のために、明治41年より馬力による輸送を開始した。その当時の軌間は609ミリであったが、大正2年より762ミリの軽便サイズにし、日本硫黄耶麻軌道部として開業、昭和20年に地方鉄道として認可され日本硫黄沼尻鉄道部として改称した。その後鉱山も閉山し、昭和39年に日本硫黄観光鉄道、昭和42年には磐梯急行電鉄と改称したが、昭和44年廃線となった。 |
現在のJR磐越西線川桁駅前に広がる、日本硫黄沼尻鉄道の川桁駅跡。現在は駐車場などに利用されてはいるが、基本的に空き地である。この日は雪のため、何かしらの遺構があったとしても見ることは難しいだろう。雪の日の踏査のメリットとしては、普段はわかりづらい路盤跡がくっきりと浮かび上がることにある。また、固雪(春先のきつく固まった雪。上に乗ってももぐらない)の時は障害物を気にすることなく歩くことができる。 デメリットは、地表の遺構が全くわからないということ。レールが残っていてももちろん見ることは不可に近い。 ただ、既に先人によって踏査が進んでいるような場所は、遺構の場所も、その状態もわかっていることが多いので、あまり雪が多くなければ気にする程でもない。 ![]() この記念碑が出来たのは最近なのであろうか?川桁駅前に作られた日本硫黄沼尻鉄道の記念碑。 TUKAさんからの情報で2003年に建立されたそうです。 ![]() 川桁駅を出た廃線跡は、町道として残っている。鉄道らしいカーブがそれを後の世に伝える。 ![]() 残念ながら観音川橋梁は取り壊されて仮設橋がかかっていた。仮設橋をかけたまま、特に工事を急いでいるわけでもないので、おそらく保存に耐えることができない何かしらの崩壊が起きたのであろう。 ※TUKAさんから情報いただきました。強度不足の為、1990年代中盤に撤去されたそうです。ということは、「鉄道廃線跡を歩くU」の写真は、まさに最後の姿だったのかもしれませんね。 橋梁を渡った後も、廃線跡は生活道路として今も使われている。この後、県道と合流している。![]() 今は鉄道の痕跡は完全に失せてしまった沼尻へ向かう県道。 ![]() これを見るのが最大の目的といっても過言ではない。 会津下館駅跡に残るトイレ。なぜトイレだけが残ったのであろう。こんな状態じゃ、誰も使う人間もいないとは思うのだが…。 白木城駅の跡は全く痕跡が無い。というか、沿線の駅跡は全てと言っていいほど何の痕跡も残っていない。公民館がこの場所に建つことが、かつての集落の中心であった名残であろうか? ![]() 会津樋ノ口を過ぎた後、国道115号線に一度合流するが、すぐに国道から廃線跡は別れていく。写真は再び国道に合流する地点。右の道路と国道の間あたりを走っていたはずであるが…。 ※というのは間違いで、R115号が拡幅されて軌道跡も飲み込まれてしまったようです。 ![]() ほぼ同じ地点であるが、鉄道の痕跡はこの積雪でよくわからない。 ![]() 田茂沢の辺りで再び廃線跡は国道から分岐するのだが、雪に埋もれてしまい定かではない。見た感じ、圃場整備は入っていないようなので、なにかしらの痕跡は残っているのかもしれない。 ![]() 一度国道に戻った後、今度は反対側に分岐する。こちらの廃線跡は、しっかりと砂利道として残っていた。 ![]() 沼尻駅までこのまま廃線跡を車で進めそうであったが、携帯の電波も入らないし、何かあってもいやなので、ここで一度国道に戻る。 ![]() 沼尻駅の直前に、ほとんど手つかずらしき廃線跡が残っていた。集落の中心にあるにもかかわらず、この積雪は転用無しと思うのだが。 ![]() 今も残る沼尻駅本屋。 ![]() 隣には車庫も残っている。 この後115号線を福島へ向かい、R13で栗子峠を越えて尾花沢へと向かった。 この雪の中、R121大峠越え→R115磐梯越え→R13栗子越え→R48関山峠越えという所行は、周囲から馬鹿と言われたが、これぞ「鉄廃魂」なのだw おわり ![]() |