| 今回ご紹介する羽後交通雄勝線は当サイト初の秋田モノである。何度か各所を訪れているのだが、サイト用の取材訪問としては初である。「2005夏・男の藪祭」の打ち上げ踏査であった為、この踏査にはBAKUとチャーリーが同行している。 さて、簡単に雄勝線の沿革からご紹介しよう。昭和3年に雄勝鉄道として開通。昭和19年に羽後交通(株)と合併し、羽後交通雄勝線となる。廃止は段階的に行われ、昭和42年に西馬音内(にしもない)〜梺間が、昭和48年に西馬音内〜湯沢間が廃止となり、45年の幕を閉じる。今回はJR湯沢駅構内の湯沢駅跡から辿っていこう。 ![]() 雄勝線のホームはJR湯沢駅(当時国鉄)の4番ホームに乗り入れていたが、現在、湯沢駅に4番ホームは無い。写真の跨線橋はかつては4番線へと伸びていたらしいが、現在は切りつめられている。 ![]() この辺りにホームがあったはずだが、完全に撤去されてしまっている。 ここから先、しばらくは完全に路盤が消失しており、3人でああだこうだ言いながら、再び路盤が現れる場所を探す。 一瞬行きすぎてしまったが、湯沢・横手道路の築堤の手前に、未転用の路盤を見つけることができた。この場所は書籍や紹介サイトでもよく出てくる場所であるが、この藪じゃあなんだかわからないw(A地点)![]() 橋梁の写真を撮ったつもりだったのですが。10枚撮って一番まともな写真がこれ。道路のすぐそばにあるので、場所はすぐわかるのだが。 ![]() 路盤は一時、高速道路に遮断される。位置関係を見失わないように、反対側へと移動。 ![]() 高速道路の反対側は、道路に転用されているのでわかりやすい。ゆるやかな鉄道跡っぽいカーブが良い感じだ。 (B地点) ![]() そのまま廃線跡の道を進むと、やがて雄物川の堤防に突き当たるが、堤防の川側に回り込むと、橋台だ残っている。(C地点) 少し前まで、川の反対側の橋台も残っていたのだが、現在は完全に撤去されたようだ。撤去した後の土がまだ新しかったので、最近の工事のようであった。 ![]() 羽前山田駅手前の踏切があった辺りから、雄物川橋梁方向に向かってとった写真。完全に水田に転用され、路盤の痕跡は全くない。写真の赤線が線路があったと思われるところ。 ![]() 羽後山田駅の跡は、現在保育園があるあたり。保育園の手前に複線分の橋台が残っている。 ここから先は再び路盤の跡は水田になり、ほとんどうかがい知ることができない。
![]() ここから先は、かなりピンポイント踏査になるが、ご了承願いたい。というのも、はっきり言って自信なし。全くなんの手がかりもないといっても良いほど。この場所に貝沢駅があったらしいのだが、そばの神社との位置関係からの想像で、「ここだ!」という手がかりは発見できなかった。
![]() 何の痕跡も無い水田を辿って、三輪という集落に入ると農協の建物があるが、この辺が羽後三輪駅跡「らしい」。 どうも駅跡にこの農協の建物がどんと建っているようなのだが。 ![]() 線路の延長線上と思われる場所に、怪しいコンクリ。ホームの跡?と思わせるが、倉庫の土台っぽくもある。 ![]() ここに来てようやく廃線跡らしき道路が出現。一路あぐりこ駅へと向かう。 ![]() 一見廃線跡と思わせる農道であるが、実際の線路は農道の左側らしい。あぐりこ駅周辺も全く痕跡が残っていなかった。ちかくに「あぐりこ」というバス停があるが、たぶんその近くであろう。 ![]() あぐりこ駅そばの稲荷神社。なんとなく良い感じの神社だった。元稲田稲荷が正しいらしいが、地元では「あぐりこさん」と呼ばれているようだ。ちょっと変わった名前なのでどんな由来かな?と調べてみました。 あぐりこのお話しへGO
![]() BAKUが「ここが路盤跡」と言いはった西馬音内駅手前の怪しいスペース。民家の庭じゃねーの?wというのは冗談で、確かにずっと奥まで続いているようだ。写真は西馬音内からあぐりこ方向へ向かって。 ![]() 同一地点を振り向くと、またまた怪しいスペース。そして右奥に見える建物の場所が駅の跡らしい。 このあとの路盤は、道路になったり完全に消失したりで、ぐるぐる彷徨ったあげく、気が付いたら終着点に着いてしまった。敗因:「秋田県の地図を持って行かなかった」←これ最強wまじです。ここまでほとんど勘だけで行動してます(爆) ![]() で、終着の梺駅跡。信号機が残っているというか復元されたらしい? 広い敷地だけが駅を彷彿させる。他の遺構は何も無い。 ![]() 敷地の中にデハ3が保存されている。ガラス越しに撮影。左下のニャーはどこから入ったんだ?w ![]() なんとしても写真に写るにゃー!w ちょっとキモイ写真ですがおまけです。 で今回の教訓。 最低地図だけは持とうねwカーナビは役にたちまへん。 END
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