東北本線旧線 有壁〜一ノ関 宮城・岩手県 2005.6.22踏査


 最初に言っておくが、今回の踏査は限りなくボツネタに近い。とは言っても普段あまりにも陽の当たらない廃線跡なので、あえて公開したい。表題を見て「え?結構メジャーな廃線跡では?」と思った方、あなたが知っている廃線跡はきっと「清水原〜一ノ関」の廃線跡であろう。当サイトに於いてもボツネタとして公開中である。さらに突っ込んだ踏査を相互リンクサイトの「山さ行がねが」様でも行っていることは、多くの読者様の知るところであろう。
 今回の踏査対象は、東北本線の中でも比較的新しい付け替え跡である「有壁〜一ノ関」である。地図を見て頂ければ一目瞭然である。



 地図をご覧になっておわかりのように今回の踏査は、有名な有壁隧道の廃止後に開通した新線上の「大沢田隧道」に関するものである。東北本線の多くの区間は複線化に際し、上り線を新設する形で行われたが、この大沢田隧道も複線化の際に上り線用の大沢田トンネルを新設し、下り線の大沢田隧道はそのまま使われ続けた。しかし昭和58年老朽化の為廃止、新たに下り線の付け替え及び新大沢田トンネル(下り)の新設が行われた。有壁駅は大正13年に新線移行と共に開業している。仙台から北の奥州街道の宿場町を離れて進んできた東北本線が、この新線移行によってようやく有壁宿から奥州街道に再び沿って進むことになる。旧旧線からの移行の際、長大トンネルを掘らずにあえて遠回りとなる迂回ルートにしたのも、その辺の配慮があったかどうかは定かではないが。とりあえず、今回の踏査に関しては、私がアプローチした順を追って見て頂こう。

 いきなり藪である(笑)とりあえず、どの辺が旧線かもわからずに現地へ行ってみた。ちょうど一ノ関バイパスと旧4号との分岐点辺りが大沢田トンネルの一ノ関側坑口附近ということで、とりあえずその辺のスペースに車を止め、線路沿いに歩いてみた。すると、下り線の東側になにやら怪しい切通がある。これは!と思い近づいたが、切通の縁のぎりぎりまで行ったが隧道らしき物は全く見えない。しばらく周辺をうろつきあがいてみる。写真右中央の灰色部分が、旧線の切通の法面である。







 



 一ノ関方向を向くとこんな感じである。この場所から下には降りることは不可と判断。一度4号に戻ることとする。














 
 4号バイパス上から見た下り線。大沢田トンネルの左側に沿うように、線路一本分のスペースが、一ノ関方向に上り線と合流する辺りまで続き、東京方へ向かって左斜めに分岐していく旧線の様子がおわかりであろうか?突き当たりのコンクリート法面の下に旧大沢田隧道の坑門があるはずだが…。どうやら近づくためには、現在線の横を歩き、猛烈な藪を越えていくしかないようだ…。もうこの光景を見た瞬間、全く
行く気はないのだが(笑)
 あきらめて有壁駅側に行ってみることとした。







 
 有壁駅側の旧線跡は、下り線に沿っているわけではなく「上り線」のすぐ横にある。理由は簡単で、この旧線は複線化後に発生したものだからだ。上り線の横に下り線の旧線があってもなんの不思議もないのだが、一瞬勘違いして、藪を越え少し離れた下り線の方まで行って徒労に終わる。よく見ればこの場所の足元にはしっかりバラストが残っていた。先入感だけで進むとよろしくないという実例。










 上り線の左(西側)を下り旧線の築堤が徐々に離れていく。しかしやっぱり藪…。でも先が見えない。行くしかないのか?俺…。


















 あー行きたくない…。俺の背丈より高い夏草が立ちふさがる。えーい、行け!
















 おりゃー!とりゃー!ブチブチビチ


 まじでこんな声を出して回転しながら突き進む(笑)(つるに体が引っかかって体が回転するのですよw)そしてある枝をつかんだ瞬間事態は最悪の方向へ傾き始める。






 これって…たしか「モリアオガエル」の卵…?

 おいらはこいつを素手で思いっきり握ってしまった
 あーあーあー(T-T)(T-T)(T-T)
 よく見ると、こいつらがその辺の枝という枝にへばりついているじゃあないですか!!おいらのGパンやらなにやらよくみると泡みたいのがいっぱい…。ひぃ〜。





 もう泣きながらすすんだ…。そして後から思えばわずか50M程の距離が、その時は1キロにも感じた。と、ふと突き当たりになにやら変化が…。

















 あった…。旧下り線大沢田隧道である。残念ながら入口はフェンスで封鎖されている。電化対応だけあって、よく見る煉瓦の隧道よりもかなり巨大に感じる坑門。いや、まじででかいです。これ。これ以上引くと木が邪魔で隧道が写らなくなるのでこれが限界。
















 隧道の上部には架線金具が残っていた。ちょっと調べてみたのだが、この隧道の断面は「中間型」といって、将来の電化を見越した路線に使われた、結構レアな断面らしい。使われた期間が大正11年からわずか3年間のみである。
 それにしても通り抜けができれば、まだ見ぬ一ノ関側の坑門も見れるのに…。













 あれ?何か穴があいてますよ(笑)
でも今回はカエルショックの為、これ以上の踏査は続行不可能。(なにしろアワアワなんですよ…)というわけで、この続きはそのうちBBかBAKUを道連れにアワアワが無くなった頃に…




END

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