函館本線南美唄支線 美唄〜南美唄 北海道 2006.11.12踏査

 北海道は本当にすごい。至る所に廃線があり、きちっと下調べしていなくても、何となく廃線跡が発見出来てしまう。といってもこれは我々趣味者からの見方であって、地元の産業界にとっては退廃の象徴でもあるのだから廃線跡を見つけてしまったからと言って、諸手を挙げて喜ぶのも少し気が引けるのだが。
 今回紹介する函館本線南美唄支線は総延長わずか3キロ。わかっていれば結構簡単に見つけられる廃線跡、逆に言えば前振りに書いたような放置されてレールがはがされただけの廃線跡ではなく、知らないと通り過ぎてしまう廃線跡である。しかし自動車がひっきりなしに行き交う国道から一歩奥に入れば、やはりそこには北海道の歴史を今も語り続ける遺構がひっそりと眠り続けていた。





 南美唄支線のルーツは、昭和6年に三井鉱山によって開通した石炭輸送専用線である。が、完成直後に省線に移管(これは三井鉱山が鉄道省に対して寄贈)した。南美唄駅から先は客扱いの無い完全な鉱山専用線であり、三井鉱業から事業の譲渡を受けた三美鉱業が継続して運営したが、炭礦の閉山に伴い昭和48年9月9日に廃止となった。

 
 実はこの場所へは2日連続で訪れている。初日は夕暮れ&積雪でプレリサーチにとどめておき、2日目に写真撮影として日程を割いた。

炭礦列車が発着していた頃の美唄駅とはずいぶん様変わりした。南美唄支線の跡は函館本線の東横を並行して続いており、美唄駅から巡っていけば迷うことはない。途中、橋梁跡等もあり、見応えはある。

 しかし1日目、しっかり我々は迷う(笑
 いや、「最新版の」地図だったはずだが、目印にしていたコンビニが既に無く、しっかり通り過ぎた。









 函館本線から、徐々に東へ向かって分岐してくる地点。
 わかってしまえばなんてこと無いのだが、一日目我々はこの場所さえたどり着けなかった。(しかし終点付近はしっかり見ている)不慣れな土地というのは、時々方向すらわからなくなることもあるのだが、夕暮れ、雪、いろんな条件が重なって焦っていたのだろう。(何しろそのまま夜勤直行でしたから)

 










 踏切跡はすっかり無くなっていて、振り返ればそこは路盤跡がそのまま資材置き場に。
 最近は「立入禁止」となっているところは素直に引く。現場に人がいれば来意を言えばすんなり見せてくれることも多いが、いないときははっきり言ってめんどくさい(笑)何よりこんなことで新聞に載っちゃうのも恥もいいところだ。 ましてや破壊行為など以ての外。
 中学生のやんちゃじゃあないのだから、駄目なトコは入らない。ネットと心中するつもりは毛頭無いのだから(笑)

 地図を見ながら迂回できそうな道を探すと、すぐ側に迂回路がありそうだ。

 自己責任という言葉が軽々しく使われるが、天涯孤独じゃ無い限り、自分だけの責任で済む事例は希だ。親兄弟、嫁さん旦那、自分の子供達、入る前に顔を思いだそう。






 迂回していった先は、ちょうどカーブが曲がりきった辺り。
 一見、路盤がだーっと見事に続いているが、よく見ると変な盛り上がりが片側に寄ってこんもりと盛り上がっている。なんじゃこりゃと思ってよく観察すると、オリジナルの路盤が盛り上がっている方で、どうやら築堤が崩された跡のようである。何かに利用されているわけじゃないのだが、何かしようとしたんだろう。













 さらに観察を続けると、土と草に埋もれてコンクリートの暗渠がひっそりと隠れていた。その下を通っていたであろう水路さえ既に無くなっているのだが、穿つ穴はどこへ行く。

















 ここから先は、ほとんど直線区間である。築堤で登った廃線跡は、学校の敷地に。横を道路が走っているが、廃線跡は学校のほうである。

















 学校の敷地→空き地→なんかの建物(笑)という感じで、路盤跡は再利用されていたりされていなかったり。なんか雰囲気としてはこの辺を新興住宅地にしたいようなのだが、どうなんでしょう?
















 並行道路自体もゆっくり高度を上げていくのだが、路盤跡は築堤でさらに高度を上げていく。もちろんこのさきの炭礦へのアプローチの為である。

















 そしてほどなく南美唄駅の跡へ。駅跡には何も残っていないが、当時の駅前商店らしき店は今も営業を続けていた。そしてこの周辺は鉱山住宅が建ち並ぶ一画。操業当時はかなりにぎわった様子が想像できるが、今は一面の野原であり、そこに鉄道の存在を感じさせるモノは何もなかった。















 ここから先は鉱山専用線である。巨大なコンクリート擁壁が今もどすんと鎮座している。

 この先、路盤跡は道路に沿った不鮮明な細い空き地になっているが、何も遺構は発見できなかった。















 当時の鉱山事務所は今も残っている。線路はこの辺りまで続いていたそうだ。


 さてお気づきかもしれないが、最初に上げた地図にはさらに廃線が隠れている。
 このわずかな範囲に複数の廃線が隠れているというのも、我々にとっては嬉しい限りなのだが…。


 気がつくと雨は上がりかけていて、我々は次の目的地へと移動を開始するのであった。

 END

トップページへ
廃線メニューへ