仙南温泉軌道  前編  宮城県  2004.6.24踏査

 
 仙南温泉軌道の開通は大正6年の事で、もともとは城南軌道と仙南軌道という2つの会社の路線が合併してできあがった路線である。詳しくいえば、遠刈田〜永野間が仙南軌道、大正7年に城南軌道が村田〜大河原間を開通させたが、各々の路線のみでは収益が上がらず、大正10年に合併して仙南温泉軌道と改称した上で、両社間を結ぶ永野〜村田間が開通した。実際に足を運べばわかるのだが、この永野〜村田間は非常に勾配がきつく、本当に汽車が走れたのか?と思うほどでやはりこの勾配区間がネックとなり、自動車輸送には勝てず昭和12年に廃止となった。

 

 仙南温泉軌道の駅があった、現在のJR東北本線大河原駅前。
 実際の駅は写真の左やや奥にあり、現在は駐輪場になっている。軌道は駅を出た後南に向かい、この駅前通りに直角に曲がって西進していた。
 現在は軌道の痕跡は全く見ることができない。








 中央停車場を過ぎ、村田へ向けて方向を北に変えた軌道跡は、この道路の右側を走っていたと思われるが、その面影は全くない。当時から道路と平行して走っていたようであるので、道路拡張に飲み込まれてしまったようだ。











 ほとんどが県道に転用されている路盤跡。このあたりに沼辺停留所があった。
 奥に見える高架は東北新幹線であり、写真は大河原方向を向いている。











 途中の小泉停車場も全く痕跡はのこっておらず、軌道跡は村田停車場へとたどり着く。
 ここはスイッチバックの停車場で、今もバスの停留所になっているのは駅の名残であろうか?
 軌道は写真右のシャッターの閉まった商店の前で折り返し、少し行ったあたりで西へと向きを変えていた。









 西へ向かう軌道跡は、やがて正面の山へ向かって行き4回ほどの急カーブで25‰の勾配を超えて行ったが、現在は工業団地の造成により、痕跡は全くない。
















 それでも、勾配を乗り越えた終盤付近からは路盤の跡が鮮明に残る。
 峠のサミットに向けて、最後の力を振り絞っていた場所でもある。
















 この切通を抜ければ峠のサミットである。
 非力な機関車で抜けるには少々きついと思う。
 
















 峠の頂上付近は、東北自動車道で分断されてはいるが、軌道があった場所には架道橋がかけられている。












 峠を越えると、再びものすごい傾斜で下っていく。再び県道となった軌道跡は平沢停車場へと向かう。













 平沢の停車場は、右の建物の裏手にあったのか、それとも今、写真を撮っている場所あたりなのか判然としない。地図を見ると裏手側のような気はするが…。なんとなく駅前という雰囲気だけは残っていた。
 軌道跡はここで南に向きを変える。










 写真は大河原方向。路盤は県道の東側(写真の右)を通っていたが、ほとんどは水田となっている。
 その中で、使い道のない細長い空き地を発見したが、ここが路盤かどうかはさだかではない。













 円田停車場付近の路盤跡らしき土盛。
 この辺りから先は県道から離れて行き、軌道を追って行こうとするが、とんでも無い場所に出たりと、軌道を確定するのに難渋する。この区間は未だ持って確定していない。


 今回は、城南軌道担当分の永野までの区間を紹介した。
 次回は永野〜遠刈田の仙南軌道担当分をお送りする。

後半へ続く

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