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早掛沼の南岸を通る道との交差地点から、むつ市内を向いた写真である。このあたりは路盤の撤去にあたり、なにか大型の重機が路盤を走行したのか、轍が残っていた。 |
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廃線跡は早掛沼の東岸に沿って、まっすぐ北上していく。 |
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樺山駅はホームや駅舎もそのまま残されていた。ここにも重機の轍がある。これは、田名部川橋梁付近までは見られなかったものであるが、単純に大型車両のアクセス路が無いために路盤を走行してレールの撤去をしたものであろう。 |
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駅舎の中に残された落書き。 無人駅だったため、ツーリングの際の宿になっていたのだろう。その類のメッセージが多く残されていた。 しかし彼らの残したメッセージもまもなく消える運命にある…。 |
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大畑線へのたむけだろうか。誰かが刺した造花が駅舎の柱に刺さっていた。 |
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かつて無人の駅舎を照らし、ライダー達を漆黒の闇から救っていた明かりも、二度と灯ることはない。 |
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かつての駅前広場である。駅前らしくこのあたりは商店や郵便局が集中している。廃線跡の駅を探す際はこの様な地点を探すのも一つのポイントである。 |
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駅舎は既に取り壊されていた。なぜか残るゴミ箱。誰が使うわけでもないのに、不思議と廃駅にはゴミ箱が残っていることが多いような気がする。 |
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上路式と下路式の混合版の出戸川橋梁である。この橋梁の辺りから廃線跡は海沿いをいく事になる。 |
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陸奥関根方(左側)が下路式、川代側が上路式になっている。 |
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川代駅構内。この辺りはレールのみが外され、枕木はそのままであった。ここには大量の枕木と犬釘(白い袋)が積まれていた。どうやらここが集積地らしい。 |
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用地境界票と、その脇に大量に積まれた枕木とレールを固定していたタイプレート。 |
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駅舎があった場所。やはりここにもゴミ箱。そして「ママさんダンプ」(っていいますよね?)が取り残されていた。 |
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まだ停止板も残る駅構内。すぐにでも列車が走ってきそうな雰囲気。 |
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この駅だけは一段高い位置にホームがあった。写真はホームへ登る階段。 |
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現在は下北交通バスのターミナルとなっている、大畑駅舎。沿線で唯一再利用されている場所である。 |
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駅構内は廃止当時のまま。おわかりかと思うが、この後大畑線は大畑駅周辺で保存運転が行われるようになった。踏査当時はそれを知るよしもなく、ここに列車があれば…と思ったものだ。 |
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この車庫で大畑線のキハ85はしばしの休息をとっていた。 大畑線の動態保存の詳細は「大畑線キハ85動態保存会」のページをご覧になってほしい。 |
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駅構内の線路は、やがて大間線(未成線)の路盤へと続いていく。大間線についてはまた別の機会に。 この日はご覧のように夕暮れも近づきつつあり、大間線の踏査は断念した。 END |