| 塩釜線は明治20年、日本鉄道によって敷設された由緒ある路線である。当初、塩竃港に鉄道資材が荷揚された為かつてはこの路線が東北本線の終着駅であった。 その後明治23年に岩切〜一関が開通した為、岩切〜塩竃間は東北本線の支線となり塩竃線となった。 昭和19年には、東北本線の海線が陸前山王駅を経由して品井沼に至るルートで開通したため、塩竃線は陸前山王〜塩竃間の運行となり、昭和31年には東北本線に塩竃駅が設置され、塩竃線の塩竃駅は塩竃港駅と改称、旅客輸送が廃止され貨物線となった。 昭和53年に魚市場支線が廃止。平成9年4月に塩竃埠頭駅までの路線が廃止され、110年の歴史を閉じた。この路線の遷移は少し複雑なので、末尾に補足をまとめてある。 現在も路線の多くは廃止後7年経ったが容易にたどることができる。ただ、主要幹線道路沿いを走らず、住宅地の隙間に路盤の多くが残されているので、今回の踏査にはバイクを初使用した。 |
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新設された国府多賀城駅を過ぎて西へ進むと廃線跡は多賀城市高崎付近で分岐する。分岐した後写真の切り通しを抜けて高崎地区の築堤へと抜ける。 現在出版されている地図を見ると、大概土手状の記号で記されているので、ここへのアプローチは苦労しないと思う。ちなみに私は昭文社の「県別マップル」を主に利用しているが。 たまたまこの区間については東京人分社刊「宮城県広域道路地図」の1992年版が手元にあって、現役当時の路線が記載してあり重宝した。 国土地理院のウェブマップサービスもなかなか使えます。 |
| 高崎地区の築堤。 この周辺は宅地化の開発が始まっているが、築堤跡は遊歩道等として保存するような雰囲気である。築堤跡そのものには大きく手が入っておらず、付近住民の散歩路となっているようであった。 |
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留ヶ谷地区で細い水路を渡る煉瓦の橋。 路線の歴史を感じさせる遺構である。 |
| 留ヶ谷地区は比較的現役当時の状況を残している。 築堤の脇には勾配票も残っていた。 この区間はバイクで走れます。もちろんチャリも。 はいっちゃだめなんて一言も書いてない(笑) 両側が宅地に挟まれている区間の為、なんとも再利用も難しそうな気がする。 そんな理由で保存状況が良いのかもしれないが。 |
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留ヶ谷地区を過ぎると塩竃市野田地区に入る。 かつて塩竃線を越えていた跨線橋の上から西塩竃駅方向を望む。 |
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上の写真奥の山の反対側から陸前山王駅方向を向いた写真である。この付近から仙石線が並行する。左に見える高架が仙石線。 この奥にはフェンスがあったため今回は侵入を見合わせた。たしか車が入っている写真を見たことがあるしなぁ…。 「立ち入り禁止」とは一言も書いていなかったし…。 近々突入予定!(笑) |
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この場所(菖蒲田街道)には踏切の跡が残っている。 |
| 補足資料・塩釜線概要 | ||
| 明治20年12月15日 | 日本鉄道 郡山〜塩竃間開業 | 東北本線 |
| 明治39年11月 1日 | 日本鉄道買収。官営鉄道に | |
| 明治42年10月12日 | 岩切〜塩竃間を塩竃線に制定 | 塩竃線 |
| 昭和 8年 9月25日 | 塩竃〜塩竃港開業 | ↓ |
| 昭和19年11月15日 | 起点を陸前山王に変更 | ↓ |
| 昭和31年 7月 9日 | 旅客扱い廃止 | ↓ |
| 塩竃→塩釜港、塩竃港→塩釜埠頭、塩竃線→塩釜線に改称 | 塩釜線 | |
| 昭和40年10月 1日 | 塩釜港〜塩釜魚市場間開業 | ↓ |
| 昭和51年10月 1日 | 塩釜魚市場荷扱廃止 | ↓ |
| 昭和53年12月 1日 | 塩釜港〜塩釜魚市場間廃止 | ↓ |
| 昭和56年11月 1日 | 塩釜港駅荷扱廃止 | ↓ |
| 昭和61年10月21日 | 塩釜港駅廃止、塩釜埠頭駅に統合 | ↓ |
| ※実際に廃止されたのは塩釜埠頭駅で、塩釜港→塩釜埠頭 | ↓ | |
| になった。 | ↓ | |
| 平成 6年 4月 1日 | 陸前山王〜塩釜港間休止 | ↓ |
| 平成 9年 4月 1日 | 陸前山王〜塩釜港間廃止 | ↓ |
後編へ続く