手宮線 南小樽〜手宮 北海道 2006.11.14踏査


 北海道の鉄道史を語るのに、絶対に外すことの出来ない路線が今回ご紹介する手宮線である。
 手宮線と名称が付いたのは後年の事で、元々は北海道初の官営鉄道としてアメリカ人技師クロフォードにより、石炭輸送を目的とした手宮〜幌内間を結ぶ幌内鉄道として計画され、明治13年(1880)に手宮〜札幌間を開通させた。同時に小樽の港湾整備も行い同年に手宮鉄道桟橋が完成し、明治15年には幌内まで全通することとなった。



 幌内鉄道は北海道炭礦鉄道に譲渡された後明治39年に国により買収され、大正7年に南小樽〜手宮間が手宮線となる。他の区間はほとんどが現在の函館本線であるが、岩見沢〜幌内間及び三笠〜幾春別間は幌内線となり後に廃止された(幌内線に関しては後日紹介する予定である)。今回10日近く北海道に行く機会に恵まれたため、是非とも行ってみたかった手宮線へと足を運んでみることとした。




 札幌駅から快速エアポートに乗り、およそ30分ほどで南小樽駅に到着する。他の土地に行くと距離のスケール感が狂うのだが、小樽はもっと遠い場所だと思っていたので、あっさり着いて驚いた。
 ホームに降り立つと、さっそくレールの敷かれていないスペースが目に入った。どうやらここに手宮線のホームがあったようである。









 駅の跨線橋から手宮の方向を覗いてみた。駅の端っこの方からそれまでなかったレールが先へと続いている。それが手宮線の名残のようで、さっそく駅を出てレールに沿って移動してみることにした。















 まずは南小樽駅を出てすぐの踏切がある場所を見つけたので、そこへと向かってみる。やはり手宮線のレールのようで、全く使われている様子がない。踏切のレールとガードレールの隙間に土や落ち葉がたくさん詰まっている。










 レールに沿って移動しようと思ったのだが、どうにもうまくいかない。しばらくは近くの道路を平行に移動するしかないようだ。さすがに現役の函館本線が横を走っている場所をてくてく歩いていたら、大事件になってしまうだろう。それはいいのだが、小樽の町の坂が多いことといったら。こんな事は来るまで想像もしなかったのだが、とにかく山を2つぐらい超えるつもりで歩かないとだめのようだ。よく考えれば、早くから外国に開かれた港町は長崎にしろ横浜にしろ坂が多い。これは防御上の理由からそういう場所を開港したそうだが、別に嫌なわけではなくこういう雰囲気は好きな方である。





 町を見物しながら坂を上り、登り切ったところで跨線橋があったのでいってみた。函館本線の一段下に切通が続いている。レールはないが、ここが手宮線の跡で高架になった函館本線の横に窮屈そうに残っていた。















 線路から離れてさらに歩いて行くと、家と家の隙間に入れそうな場所があったので入ってみると、手宮線のレールが残っている場所に出た。
 既に函館本線から離れているので、そろそろ線路沿いに移動出来そうである。とはいえ、この先に跨道橋があるので、そこから先に行ってからだ。












 跨道橋の場所まで来ると、ここから先しばらくは遊歩道として整備された区間である。どのような状態なのか、早速廃線跡へ登る階段を駆け上がってみた。











 橋梁そのものは撤去されているが、橋台はそのまま残されている。


















 小樽市により、手宮線についての案内板が敷設されていた。線路跡の方はどうかというと、どうにも微妙な感じである。なんとなく後から敷き直したような雰囲気もあるが…どうなのであろう。











 しばらくは遊歩道が線路の脇に造られていて、線路そのものは所々手が入ってはいるが基本的にはオリジナルであるようだった。

















 小さな踏切表示板もそのままに残されている。こういった小物も保存してくれているのがなかなか粋である。

















 驚いたのは、真っ先に撤去されてしまいそうな踏切警報機も完全に保存されていたことである。遊歩道整備されたとはいえ、小さいトロッコぐらいなら走らせることが出来そうな雰囲気である。当然、道路のレールもそのままである。














 立派な銅板の看板も登場。「手宮線跡地」と書かれているだけだが、それを示すことが重要と思う。だんだんと港に近づいてきているが、遊歩道もそろそろ終わりである。















 止まる雰囲気の踏切跡では無いのだが、一応遊歩道の終わりにある踏切跡には「一時停止の必要はありません」との注意書きを記した看板が建っていた。この踏切跡を過ぎれば、残りはほとんどオリジナルの路盤が続いている。














 早速手つかずの路盤跡へと進む。いきなり草が生え放題のレールが残った「良い廃線跡」になっている。思えば、こんな感じの廃線跡が見たくて始めた廃線跡歩きである。ありそうでなかなか出会うことは少ない。だから手宮線は自分の中では「良い廃線跡」なのである。逆に完全にわからなくなっている廃線跡も違う意味で「良い廃線跡」といえる。探す楽しみがあるからだ。となると、出てくるセリフはやっぱり「自転車道やめれ」である(笑)金かけて作る程のもんでもないと思うのだが。大体レンタサイクルすらない自転車道転用の廃線跡に行くと非常に怒りを覚える。一々自転車持って行けるかって(笑)






 小さな水路を渡る場所で、ふと疑問が湧く。レールはちゃんとあるが、宙に浮いているのだ。下の橋梁だけ外したのだろうか。何とも器用な事をするものである。
















 そしてその先にはさらにそそられる光景が待っていた。「物干し」「植木鉢」「レール」がそろった「勝手に廃線を裏庭化3点セット」の登場である。まさに廃線跡。これに鼻を垂らしたランニングシャツのクソガキか、割烹着を着たおばちゃんがいたら完璧だったのだが、そこまでは望めないであろう。
 ところでこの場所は、どうやら初代の手宮駅があった場所らしい。歴史的に由緒ある場所に物干し台。なんともシュールである。










 ここまで来ると、踏切も撤去されてしまっていた。しかしよく見るとアスファルトで埋めてしまっただけのようで、こんもりとレールの跡が盛り上がっていた。











 いよいよ港が近づくと路盤も開けてきて、ポイントなども現れ始めた。側線がひとつふたつとどんどん分岐していって、そのほとんどのレールが残されていた。
















 ひとつ忘れていた。廃線跡に欠かせないアイテムがあった。「吠えるクソ犬」である。ポールにつながれて同じ場所をぐるぐる廻って吠えているのもデフォルトだ。別に何かされるわけではないのだが、ただ単にむかつく(笑)















 レールの束はそのまま鉄道公園の中へと吸い込まれていくのだが、ここが手宮駅の跡で現在は閉鎖されている。予定では平成19年までとのことだが、何かやっている様子はない。とりあえず道路に沿って見ていくことにした。















 「ヨシ」と声が出そうなでかい指さし呼称の像があった。リアルで仕事でやっているのでなんか嫌(笑)

















 裏手に廻ると、どうやら機関庫の補修作業の真っ最中であった。ほったらかしじゃなくて、きちんとやっていたんだと少し安心。この機関庫の手前付近から手宮高架桟橋へ向かう高架橋が分岐していた。















 高架橋は手宮洞窟の上を通っていたのだが、土砂崩れにより崩壊してしまったそうである。何か無いかと上を見ながら歩いていった。

















 写真がぼけてもうしわけない(実は既に日没後)道路の上に立派な煉瓦擁壁が残っていた。下にある案内板によると、やはり高架桟橋に関わる遺構とのことだ。この辺りから線路は海へと向かってカーブする。















 現在はホーマックの駐車場になった高架橋の先に高架桟橋の土台だけが海の中に残っている。ここから数百メートルの桟橋が延びていたと言うが、この土台以外の遺構は何もなかった。近くにバス停があったので、そこから小樽駅までバスで帰った。料金は全区間200円とのこと。小樽駅前通といバス停と小樽駅前というバス停があったので、当然小樽駅前までいったのだが、みんな小樽駅前通で降りてしまった。どうみても駅はすぐ目の前に確かにある。でも小樽駅前という停留所があるのだからだまって乗っていようと思い乗っていたら、わずか30m先にそのバス停はあった。結局一本電車に乗り遅れた…。

END

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