| 今回からしばらくは、いい加減季節も変わっちゃったので、いよいよ観念してためていたネタを放出していきます。先ずは遠方ネタがいっぱいあるんですが、おそらくほとんどが東北地方の読者さんだと思うので、近場の小ネタから。踏査自体は10分程度で終わっているんですが、ちょっと真面目に更新するためのアイドリングということで勘弁してください。 テツハイでも何度か取り上げているのでご理解していただいているとは思いますが、廃線・旧線探しで最もわかりやすく、かつ残っている可能性が高いのが「橋梁」の遺構です。「隧道」も残っている可能性が高いのですが、「橋梁」に比べて隧道遺構へのアクセスは、「お気軽に」というわけにはいかないことがほとんどです。ここを見ている方は、その辺のレベルをクリアしている方も多いと思いますが、恐らく「仙台鉄道」なんかに興味を持って自分で見てみようと思われている「これから始めよう」というくらいのレベルの方には、いきなり仙台鉄道よりはむしろ今回紹介するような「橋梁遺構」辺りから入った方が興味も冷めにくいと思われます。(はっきり言えば仙台鉄道は難しいです。実際に乗ったことがあって、記憶がある方は別ですが。)遺構にこだわらなくても、明治の煉瓦橋梁が現役だったりすることも多いので、研究対象としてはまだまだ余裕があります。そんな感じで軽く見てもらえればというのが、今回の小ネタでございます。 ![]() JR羽越本線鶴岡駅の青森方へ出てほどなく、現在線の南側に旧線の跡が分岐してくる(築堤上)。ただし下から見ているとなかなか解りづらいのだが、そのまま行くとすぐに確定的な遺構に出会う。 実はここの旧線跡は、「赤川橋梁」の架け替え遺構として紹介されていることが多いのだが、いきなり赤川橋に行くと、遺構がほとんど無いために戸惑うことになる。 国道112号線がアンダーパスする場所の鶴岡駅側に、コンクリートの橋台が残されている。しかし秋田方の橋台は何も残っていない。線形がこの位置からはつかみづらいのでここから一気に赤川橋梁の側へ移動することとした。川の堤防から覗こうという算段である。 「鉄道廃線跡を歩く[」には切り替え時期が記されていないのだが、旧橋台の銘板には竣工が昭和50年とある。昭和51年の空中写真では切り替えが完了していないので、少々時期的な疑問が残るのだが…。 ![]() 赤川の堤防に立ち、鶴岡駅方面を眺めてみた。すると、旧線上に「エ」マークの境界票が真っ直ぐに並んでいるのが解る。どうやら、砂利道が旧線らしいのだが、前後区間は河川改修によって地形が変わっており、現役当時の状態は想像できない。空中写真を参照すると、どうやら築堤があったようなのだが、完全に消失している。 ![]() 空中写真では旧線の赤川橋梁は12径間のダブルワーレントラス橋梁であったように見えるが、現在は橋台、橋脚とも跡形もない。現在線もトラス橋梁を採用している。 ![]() 赤川を渡った後には比較的明瞭に築堤が残っているのだが、橋台等はやはり完全に撤去されている。築堤の上にはバラストもほとんど見ることができなかった。 このように、皆さんの身近な場所にも橋梁跡等がないだろうか?複線化している場合は、残っていることが少ないが(複線路盤丸ごと移行した場合は別)ドライブがてら、ちょっと通りかかった橋を見てみれば、資料に記されていない橋梁跡を発見することができるかもしれない。 END
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