羽越本線旧線 前編 鼠ヶ関〜小波渡 山形県 2004.6.20踏査 


 羽越本線山形南部の付け替え区間は、大別すると鼠ヶ関〜小岩川間が昭和44年9月の複線化及び曲線改良などによるもの、あつみ温泉〜五十川間が昭和45年9月に同じく複線化等、五十川(いらかわ)〜小波渡(こばと)間が昭和50年に短絡化等するして旧線区間が廃止されている。タイトルでは鼠ヶ関〜小波渡と単線のまま取り残されている小岩川〜あつみ温泉間も含めているが、その理由は追々明らかになっていくと思う。当日は雨天の為、ピンポイントでの踏査がメインの区間であった。尚、今回の踏査では下り青森方向から南に下っている。サブタイトルはそれに準じているので、ご留意いただきたい。


小波渡〜五十川間

 今回の踏査のスタート地点、山形県鶴岡市、小波渡駅の下り線ホームにたち、新潟方向を見たところである。当日は時折雨が激しく降り、カメラをかばいながらの踏査となる。ホームのはるか遠くに見える人影は、今回が初の踏査となる山形支部長チャーリー。チャーリー氏については山形交通尾花沢線の頁でもふれているので、後でごらんいただければと思う。
 正面に見えるトンネルは新設された複線断面のトンネル。旧線は写真右の方の海側へ分岐していく。(A地点)
 現在の旧線跡には既に家も建ち、畑等に転用されている。ほとんどが私有地になっている為撮影には気をつかわされる。(B地点)
 下の道路からかつてのロックシェッドを見る。今日の私はかなりへたれ状態。いつもなら間違いなくよじ登るのだが…。激しい雨のせいもあるし、なにより初踏査のチャーリーを連れている。私有地に侵入して通報されても困る。まぁ私一人ならそれでもなんとかなるが、彼は社会的立場もある人間。無理はできない。今日はデジカメの望遠をフルに使う事が増えそうだ。(C地点)
 先ほどのロックシェッドから隧道にはいり、再びロックシェッドから隧道へと続く部分。写真のトタンに被われた部分はきのこ搬出用の施設跡。隧道内部でキノコの栽培が行われていたそうだ。(D地点)
 隧道の南側にもロックシェッドが続いている。南側は現在木工所の敷地として使用されている。(E地点)
 上の写真にもちらりと写っているが、旧線区間ほとんどは津波の時の避難場所として指定されている。
 旧線の跡に登ってみた。写真は北方向を木工所に向かって撮影。道に並ぶ電柱は旧線の架線柱である。
 堅苔沢隧道の北側坑門。少し中に入ってみるが、すぐに閉塞している。まぁ繋がっていても思いっきり私有地だし…。(F地点)
 堅苔沢隧道の南側は藪の中。どうやっても藪に突入しなければ確認できないようだ。いきなり踏査開始で濡れ鼠は、これからの踏査に影響する(言い訳)。季節が悪い!季節が!(笑)(G地点)
 こちらは小波渡隧道の北側坑門。新線の脇に並ぶように口を開けている。
 小波渡隧道の南側坑門である。隧道内部には枕木やバラストも残る。(H地点)
 ここに限らず、旧線跡にはいたるところに架線柱が残っている。旧線の跡を追うのは容易い。
 何とも言えない不気味な模様になってしまった隧道内部。架線の跡もそのままに残る。
 痛みはほとんど見られない。バラストも多くの人が通ったせいか、それほど歩きづらくもない。
 廃隧道初くぐりのチャーリー。なかなかご満悦の様子。ちなみに彼は普段からこんな化粧をしている。私の画像加工ではない。(無理か?)
小波渡隧道の先(南側)の旧線は一段高い位置を進む。架線柱がそのまま並んでいるのがわかるであろうか?
現役時は海を望むなかなかの絶景だったのでは?(I地点)
 国道7号線の脇に突然現れる波渡岬隧道の延伸部。ここからの区間は最近の国道の改良により「鉄道廃線跡を歩く[」のレポとは、かなり様子が違ってくる。旧線の路盤も国道用地に転用されている。(J地点)
 排煙塔がわかる隧道延伸部。国道の横に顔をのぞかせている。(K地点)
 延伸部の南側は国道の下に完全に埋没しており、どの辺りだったのかも見当がつかない状態。眼下には日本海が間近に迫る。
 架線柱が残るおかげで路盤とわかるが、そのほとんどは新国道の築堤の一部に埋没している。
 とぎれとぎれになりながらも、架線柱だけはしっかりと残る。このあたりは路盤も吸収されずに残る。(L地点)
 旧線は一時国道7号線に分断される。旧国道の方向を見ると、旧国道の下に五十川隧道の北側坑門が口を開けている。この場所で南に向かう車に乗った夫婦から道を聞かれる。一瞬同趣味の人と初遭遇か?とも思ったが。「秋田はどこですか?」と聞かれた。もう一度日本地図を勉強したほうがいいだろう。右手に日本海を見ていては北には向かえないということにもっと早く気付こう(笑)無事に着けたんだろうか?(N地点)
 これは、五十川隧道に入る手前の新国道に分断される地点である。架線柱が徐々に国道に寄ってきてとぎれてしまう。(M地点)
 隧道の反対側は、真ん前に民家が建っている。侵入しようと思えば出来ないこともないが…。この後すぐに二線に分岐しており、敷地が広くとられているのがわかる。(O地点)
 振り返ると、五十川橋梁の橋台が残る。橋台を渡るとすぐに五十川駅である。(P地点)
 旧五十川駅は現在の五十川駅の海よりにあった。現在も路盤の跡とホームが残っている。ホームの上は駐車場などに転用されており駅舎はない。

 この旧線の路盤は新線とはまだ寄り添わず、海の方へ向かっていく。次回はここから鼠ヶ関までを紹介する。(Q地点)
 後編へ続く

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