羽越本線旧線 後編 鼠ヶ関〜小波渡 山形県 2004.6.20踏査 


 後編で紹介する区間は、五十川駅〜あつみ温泉の旧線区間。そして、あつみ温泉〜小岩川の単線区間に残された複線用隧道。そして小岩川〜鼠ヶ関間の新潟県境までの区間を紹介する。ここから南の新潟県内にも旧線区間は存在するが、一つの区切りとして山形県内に限りご紹介する。


五十川〜あつみ温泉

 前回は五十川駅の旧ホームまでを紹介した。このホームからのびる旧線は現役線と合流せず、海側へと向かっている。その跡をたどるように国道7号線を南下していこう。
 降り続いていた雨も少し弱くはなったが、あいかわらずへたれモードで進行するw
 五十川駅を出るとすぐに最初の遺構に出会える。国道7号線の山側に並んで歩行者用にしてはやたらと大きい隧道がある。これがかつての羽越本線の第一五十川隧道である。ここから先の区間は現用トンネルとして未だ利用されている隧道が多い。(A地点)
 国道のすぐ脇を旧線跡が通る区間。路盤の跡には家が建ち並んでいた。
 民家の並びをたどっていくと、第二五十川隧道が、民家の畑の奥に残っていた。現在は資材置き場として利用されていて、途中で閉塞しているようだった。
 第二五十川隧道の新潟側坑門は国道下に埋没している。埋没点から合流点まではわずかに路盤の跡が残っていた。
 その後分岐点等ははっきり国道からは確認できないが、山側に注意していると暮坪隧道の新潟側坑門が国道から見ることが出来る。国道に側道があるのでそこに駐車してもよいが、少し北に戻ると隧道にアプローチできるもう一本の町道がある。そこから隧道入り口まで車で行くことも可能。
 暮坪隧道は車で通り抜けることも可能。車の轍が隧道の中まで続いている。
 だが、行ったところで行き止まりである。やはり隧道は歩いて通り抜けがよいだろう。
 隧道の北側坑門。この一帯の隧道はコンクリートブロックで作られている。ところどころにコンクリート鍾乳石ができつつある場所も存在する。構造物についてはチャーリーが詳しい。さすが建設課である。彼は今度丸木橋を作るらしい。
 一度現役線と合流するが、再び分岐してロックシェードが国道脇に現れる。すっかり蔦で被われている。こんな感じもなんとなく好きである。
 国道より一段高い位置を旧線跡が残る。
 あつみ温泉にほど近い国道7号沿いのセブンイレブンあたりから山側に入る町道は旧線が転用され、温海隧道も町道用に転用されている。この隧道を抜けて200メートル程で現在線と合流する。
 ここにも隧道の名前が残る。
 あつみ温泉駅から南は単線区間となる。理由は調べていないので定かではないが、駅をでるとすぐに現在線の横の山肌に複線断面のトンネルがぽっかり口を開けている。
 離れた場所から望遠で撮影してみた。手前に温海川が流れているが、隧道に続く橋梁等は全くない。隧道だけが孤立している感じである。この場所以外に複線化しようとした痕跡は見られないが。位置的にはあの場所まで行くのは簡単そうである。あの柵も簡単に越えられそう。ただ一つ問題がある。この場所は警察署から丸見えである。侵入はおすすめしない。この先小岩川駅までは特に変化のない区間である。


小岩川駅〜鼠ヶ関駅

小岩川駅を南下していくが、早田地区までは上り線を新造した区間である。早田地区のあたりで分岐した路盤の延長に橋梁の跡がそのままに残る。このあたりの築堤は崩されて住宅地に転用されているため、路盤跡はややわかりづらい。
 それでも何とかたどっていくと住宅地の上に路盤が転用された町道がある。築堤が崩されているため、ここに至る傾斜が急なため見逃しそうになる。
 国有?と思われる3階建ての建物の裏手に寺坂隧道が塞がれたまま残されていた。この建物、使っているのか使っていないのかよくわからない。今回は誰もいなかったのでちょっと失礼して敷地に入らせてもらった。
 鉄道とは関係ないが、ここの敷地が国有じゃないかと推測した理由。一級水準点が敷地内にあった。
 様々なものに転用されて路盤跡は明確でなくなっていく。それでもところどころ転用しきれなかった路盤が残っている。
 鼠関隧道は資材倉庫に転用されている。
 旧線跡は明確さを増さないまま、やがて現在線と合流していく。雨にも負けず、我々は次の目的地、山形交通三山線跡の踏査へと向かうのであった。私に廃の道にひきづり込まれつつあるチャーリー。トドメの地山形県西川町へ向かい雨の中車を発進させた。

 END

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